2004 NHK 大河ドラマ『新選組!』 各話感想

新選組!が来た  【第1話『黒船が来た』の感想】演出:清水一彦

「新選組!」面白かった~♪

日本の歴史をまだよく知らない長男も(ワタシも?)、夢中で観ていたようです。

桂と近藤と竜馬の、そばの代金を巡るやりとりがうまいっ!

オープニングにうちの近くの歴史博物公園の名前が出ていたけど、今回出て来たのかどうかは不明。(笑)

 

土方は顔と腕にモノを言わせるタイプみたいですね。(笑)

3人の会話に入って行けないところに、劣等感が先に立ってしまう彼のキャラがうまく表現されていたように思いました。

 

大久保や西郷は誰が演るのか楽しみです♪

それからもちろん、埋蔵金を巡るやりとりも見たい!(笑)


歳三もベーゴマ回した?  【第2話『多摩の誇りとは』の感想】演出:清水一彦

今日の新選組も面白かった~♪

軟弱男から沖田姐さんが火縄銃をとって撃つところや、歳三を踏み台にして(?)近藤が賊を切るところ、初めて人を切ったことを素直に受け止められない近藤・・・などなど、まるでガンダムのお話みたいだと思ったのはワタシだけ?

後の隊士が出会っていく展開は、八犬伝や十勇士のようでワクワク♪

往年の土方歳三(だったらしい)栗塚旭さん演ずる、土方の盲目の長兄には比ぶべくもありませんが、DonDokoDonの山口さんの武者ぶりも不思議とハマっていてGoo~☆

 

そしてなにより、今回はしっかり確認できました、裏の歴史博物公園♪

土方がにわとりとたわむれていた農家の庭先は、このまえ息子たちがベーゴマ遊びをさせてもらった場所で~す♪


下総の・・・  【第3話『母は家出する』の感想】演出:清水一彦

今日の「新選組!」も面白かった~☆

勇の養母ふで。

公儀隠密を蹴散らすほどの気性から、てっきり武家の娘だったのだろうと思ってみていたら、百姓の出だったとは。

でも、「下総の」っていうとこで妙にナットクできちゃうワタシ。この辺出の女性って、確かにああいう感じの人多いよなぁ・・・★ ちなみに、ワタシは相模の出。(笑)

今日の養母ふでのきつい一言で、おそらくこれまでの勇の朗らかキャラは大きく変わるんでしょうね。

 

世間では、史実と違うとか、近藤が優男(やさおとこ)すぎるとかの批判もあるようですが、そんなこといったら黄門様も四十七士も成り立たなくなっちゃうんじゃないかなぁ。我が家では、現代の若者に対するメッセージが託された講談として楽しんでおります。

とはいえ、士農工商の世で商人以外は皆貧乏仲間、っていう江戸の世情が巧く描かれているところなんかは、案外今までの幕末劇の中でも一番史実に近かったりして。


大河ひっくり返る  【第4話『天地ひっくり返る』の感想】演出:清水一彦

前回、ふでさんが蹴散らした隠密(タイトルの役名にそうありました)。そのごく普通の出で立ちに、「黒装束じゃない!」という御意見もおありの様ですが、むべなるかな。

やっぱり、隠密と名乗るからには、遠目で見ても隠密!って感じじゃなくっちゃあ、いけませんよね。(笑)

あの人たちに比べたら、路地裏の飯屋で鯉を捌いてた芹沢鴨の方が、よっぽどそれっぽい。(苦笑)

なぜ「目付」としなかったんだろう・・・。まあ、あの人たちのお役目は、橋本左内の監視というよりは、ふで母さんに蹴散らされることだったわけだから、どっちでも良かったんでしょうけどね。

 

ところで普通の時代劇では、士農工商別の標準的時代劇口調があるようですが、三谷さんはそれを崩そうとしてるの?

それにしても、竜馬だけに方言喋らせてるのにはどんな意図が?

せめて山南さんには訛まじりで喋ってほしかったなぁ・・・。

 

それにしても、多くの人に共有されてるイメージ世界を舞台に新機軸を創る、っていうのは大変なことなんでしょうね。


お薦め!  【第5話『婚礼の日に』の感想】演出:清水一彦

今日は「新選組!」の日。

もうすぐ始まるネ、とチャンネルを回したら、えっ?! あ、アキラ~ッ?!

なんと「見ればナットク」に、ゲスト回答者として「超光戦士シャンゼリオン」のアキラ、もとい萩野崇さんが出てる~☆

見損なっちゃって納得でき~ん!!(笑)

 

それにしても、何でNHKのクイズ番組に出てたんだろう?  はっ! もしや連ドラか何かへの出演の前触れ?

そう言えば、オダギリ・ジョーも新選組!に出てるし、さては三谷さんって実はライダーファンで、極悪ライダー・浅倉を演じた荻野さんを人斬り以蔵役に抜てきか!?

 

今日の新選組!は、またまた大向こうのブーイングを誘うようなお話でしたが、ワタシ的にはますますOK♪

変革の時代の世相を、政治的な大事件ではなく、士農の敷居が払われていく日常を通して描くっていうのは、新しい上にリアルっぽくてGoo~♪

サスケハナ号で日本を訪れたペリー艦隊の行動に関する米国議会の公文書の要約である『ペリーの対日交渉記』(日本能率協会マネジメントセンター刊)という本を読むと、ペリー達の見た日本と三谷さんの描いている江戸の人々が自然にだぶってしまうから不思議。

 

ちなみにこの本、著者が書き加えている分析がピントはずれなせいか、ほとんど絶版状態(笑)らしいんですが、我が家では訳あってAmazon.comで新古本を入手しました。攘夷派が台頭するのも至極当然な国際情勢のなか、日本を植民地化することなく開国へと導いた日本人とペリー達の交流がクールに記されたこの本、お薦めです!


現在(いま)へのアンチテーゼ  【第6話『ヒュースケン逃げろ』の感想】演出:伊勢田雅也

今日の「新選組!」も、面白かった~っ!!

ヒュースケンの日本に対するメッセージは、黒船に乗って来たアメリカ人の表した「対日交渉記」と同じものでした。

きっと今の日本人への、三谷さんのメッセージと受け止めました。

ますます面白くなる「新選組!」のお陰で、週末をなんとも楽しい気持ちで終わらせることができます。

 

ところで、ご進講の場で皇居のライトアップを陳情したらしい石原都知事。こうやって天皇を私(わたくし)しようとするものが現れるところなんかも、「新選組!」の時代に似てたりして・・・


五稜郭までつっ走れ  【第7話『祝四代目襲名』の感想】演出:伊勢田雅也

だんだん動乱の暗雲が立ちこめて来た「新選組!」

色んな立場の色んなキャラが続々登場する中、土方歳チャンはますます三谷史観の語り部の役回りが鮮明になってきたようです。

 

「芹沢さん、商人脅してカネを巻き上げるなんて、ただの強請(ゆす)りじゃないですか!?」

「あんた、ホントは武士じゃないだろう。」

でバッサリ。

「山南さん、法度を破って局を脱するなんて、ただの卑怯者じゃないですか!?」

「あんた、ホントは武士じゃないだろう。」

でバッサリ。

 

・・・なんてことはないと思うんですが、組の暗部は土方が背負う、っていう構図はありなのかもしれませんね。このドラマの真の主人公、実は彼なのかも・・・。もしそうなら、やっぱり流山で終わらずに五稜郭まで描くんだろうなぁ。そうなると、榎本武揚を誰が演じるのかも興味津々♪

 

 

ところで、近藤の稽古着につねさんがしていた髑髏(どくろ)の刺繍。あれを見た時、一昨年の春、次男坊の防災頭巾の紺のカバーに「クラッシュギア」のガルダイーグルを白糸で刺繍したのを思い出しました。


ウチではキムチと和えてパンにはさみます♪ 【第8話『どうなる日本』の感想】演出:伊勢田雅也

今日の「新選組!」も面白かったぁ~!

納豆の食べ方談義で始まる試衛館の朝のシーンは、我が家的には大受け☆

歳三が多摩に戻るたびに映る歴史博物公園の農家が「のぶさん」の家、っていうのも親近感♪(笑)

遠目の間接的な印象から異人を除こうとする人が多いなか、言葉が通じなくとも異人とコミュニケーション出来ちゃうみつや左之助みたいなキャラの使い方もうまいし、役目柄異人と付き合わざるを得ない日々に乱心に及んでしまった軍兵衛と、彼の凶行を押し込めてまでは静止しない松本藩の面々の描写もGooでした。

 

そんななか、エッ!? と思ってしまったのは、近藤が山南から日本外史を貰い受けたシーン。手渡された書物の頁をパラパラとめくる時、一巻目の終わりの方から始めの方に向かってめくっていました。つまり、本を向かって左から右へとめくったんですが、あれって左が表紙になる横書きの本を読みなれている、というか本が手軽に手にはいる今風の仕草に見えたのはワタシだけ?

 

今日の土方語録

「あいつら、血の気が多すぎるんだヨ。」


すべてはこのテンポ♪  【第9話『すべてはこの手紙』の感想】演出:伊勢田雅也

香取慎吾、いい感じに近藤勇になってきました~♪

正直最初のうちは、SMAPの香取君が大河の主役をやれるのかなあと心配でしたが、今では近藤勇として一本筋が通ったように思います。

 

さて、今回初めて、あの時代の女性の生き様に深く感銘しました。

というか、つねさん! ホント大変すぎる~★

これから愛する人が遠くへ行ってしまう予感、そして若くして死に別れ、後に残される彼女の運命は、女性らしい賢さを守って生きている彼女だからこそ、観ているワタシにはなんともつらいものがあります。

ましてこれから近藤が、京の地で他の女性(ひと)に心移ってしまうのだと思うと・・・。(泣)

 

そういう時代があって、今がある。

「新選組!」のテンポ良く繋がって行くシーンの一つ一つに、軽さよりも、深さや重みを感じています。


いよいよ浪士組  【第10話『いよいよ浪士組』の粗筋】演出:伊勢田雅也

今回は、訳あって粗筋を書いてみました。

 

お話は、頭を冷やしながら床についていた近藤が、興奮を振払うように一人道場で素振りを始めるところからはじまります。

 

数日前、山南に伴われて山岡鉄太郎の家に寄宿する清河平八を訪ねた近藤は、清川に浪士組結成の意義を説かれ、そこに自分の武士としての道を見いだした気持ちになります。

道場にもどった門下の者たちに自らの志を告げ、ともに上洛するものを募る近藤に、食客たちはこぞって賛同しますが、沖田の姉みつのへっぴり亭主(笑)を始めとする一般門下生は辞退。道場に残って修行に励むことになります。そんな中、へっぴり義兄に翻意を促すほど意欲満々な総司は、近藤から塾頭として居残りを命ぜられ、憮然として席を立ってしまいます。

 

酒場で浪士組参加について語り合う近藤、土方、山南、永倉、藤堂、左之助、そして隠居した近藤周斎から勇のお目付役を仰せつかった井上源さんの面々。

支度金五十両という話に気持ち良く酔う左之助の隣で、浪士組の企てがヒュースケン暗殺の黒幕・清川より出ていることに不信感を抱く土方。清川と面識のある永倉も好ましくない印象を持っていることを話します。おまけに、浪士組の総責任者・浪士取扱として松平上総介の名があることも、一同に嫌な予感を感じさせます。なぜなら、近藤の出自を理由に講武所教授方の話を反故にした男の名、松平主税介に似ているからです。皆の心配を払拭しようと弁舌を振るう山南の言葉にも力がなくなって来た時、支度金の話が気になる左之助の音頭で一同は、夜分も構わず松平上総介の屋敷に出向いて真意を確かめよう、ということになりました。

 

座敷にあげられた一同を迎えたのは、あの主税介でした。浪士取扱の任に就いたことを期に名を改めたとのこと。

内心失望する近藤でしたが、彼の口から飛び出す浪士組にかける威勢のいい意気込みや、試衛館の面々には支度金を倍額出すなどといった気前の良い言葉に、一同はひとまず安心して屋敷を後にします。

試衛館に戻った近藤たちを待ち構えていたのは総司の姉・みつ。弟のことはさておき、自分をのけ者にされた悔しさから、手にした竹刀で不意打ちの面を喰らわせられた近藤は、額を冷やしながら床についたのでした。

 

2月4日、小石川伝通院に浪士組志願者が集められます。境内は、予想を上回る人数の浪人たちが芋を洗うようにひしめき合っています。

いきなり支度金の予算超過という難題に直面した上総介は一気に意欲喪失、配下の只三郎に後を託して「前後不覚」に陥り職務放棄。

公儀よりより多くの資金を引き出そうとする清川、支度金の減額することでカネ目当ての不逞浪士をふるい落とそうとする佐々木の駆け引きが行なわれている最中も、境内には連れ荒木又衛門の再来とうたわれる剣豪やら、風体からしていかにもという侠客やら、支度金の50両が今日支払われるのかを真剣に心配する自己流食い詰め浪人などがますます増え続け、別格と自認していた試衛館の面々は内門の中にはいることすらできません。

 

やがて到着した芹沢一派が強引に境内に入り込んだころ、浪士たちの前に姿を現した清川は浪士組結成の趣旨をぶちますが、騒然とする境内で彼の言葉をきちんと聞き取れたものはいませんでした。かろうじて皆の耳に届いたのは、支度金の大幅減額と正式な参加手続きは後日となったということ。

100両の夢が潰えた左之助、話がコロコロ変わることが気に入らない土方に一同の翻意を恐れ、近藤の胸中を確認する山南。

「100両が10両になっても私の気持ちは変わらない」と言い切った近藤の言葉に、改めて浪士組参加を確かめ合いながら一同が道場の門前に到着すると、そこには頬かむりをした総司の姿が。自分も京に連れて行って欲しい一心で、自ら月代を剃っていた総司。

彼の思いに動かされる一同。自分が責任を持って預かるという土方の言葉を受けて、近藤もついに総司の参加を許すのでした。

 

今回の土方語録

「総司、お前ここで泣いたら台無しだからな。」



母上行ってきます  【第11話『母上行ってきます』の感想】演出:清水一彦

今日の新選組!は、色んな意味でぐっと来るお話でした。

何より、土方だけでなく近藤さんも歴史博物公園の農家の軒先に座ってた~!?

またワタシに断りもなしにぃ~♪(笑)

それから、上洛を前にした勇が、その心境を母・ふでに吐露する場面と、しばらく後でふでが勇に自分の出自を明かし、これまでの非礼を詫びる場面に、劇伴音楽録音盤の中でも一番のお気に入りの曲『誠の志』がかかったのもうれしかったなぁ♪

 

ところで、浪士組公募時の支度金が五十両。

兄さんが勇に贈った偽虎徹が二十両。

貸したろう、もとい甲子太郎が平助に渡した餞別が五両。

永倉が友のためにやってたアルバイトの給金が一分(?)。

 

当時のお金って、今にするとどのくらいなのかなぁ・・・って家族で話していたら、夫は一両五万円説。

伊能忠敬の伝記を読んでたワタシは一両二十万円説。

もし二十万円なら、甲子太郎ならずとも五両百万円の餞別は包み過ぎ。半分でも包み過ぎ。

 

というわけで調べてみたら、幕末はずいぶんとインフレが加速していたようで、数年で大幅に価値が下がっているんですね。

で、浪士隊結成当時はと言うと、一両が約一万五千円。

ってことは、あの餞別は約七万五千円・・・。やっぱり、半分でよかった?


義雄さん  【第12話『西へ』の感想】演出:清水一彦

「ここは三番組ですよ。」

「私は何番組なんでしょう?」

「知りませんよ。」

「まいったなぁ・・・。」

「張り紙は見たんですか。」

「載ってないんですよ。」

「載ってない?」

「朝の話では役付きだったんです。それが急に外されてしまって。誰か知ってるかな。どうして私は降ろされてしまったんでしょう。宿の手配をする係だったんですよ。何か粗相があったのかなあ。まだ何んにも働いていないのに。」

「世話役に言った方がいいんじゃないのか?」

「どの人が世話役だか・・・。」

「一緒にさがしてあげましょう。こちらへ。」

「いい人だ♪」

 

それにしても義雄さん、「自己流」のくせに役付きになってたのはナゼ!?(笑)

 


三谷ブシ、爆発  【第13話『芹沢鴨、爆発』の感想】演出:伊勢田雅也

実家の父にも(笑)不評の「新選組!」。今月号の「正論」(というおじさん向け雑誌)でも香取慎吾の演じる”幼い”近藤がけしからん、ってどなたかが吠えてるのを立ち読み。年配の方々には、どうしても馴染めないトーンなんでしょうね。確かに、「武士よりも武士らしく」ってセリフを言う割には、どんな幼少期を過ごして来たんだろうって不思議になるほど、人生の重さを感じさせない三十才になってるような気もします。でもそこは三谷さん、確信犯でやってると思うんです。見るからに「凄い」人の周りに人は集まらないし、集まる必要もない。粕谷新五郎然り。

 

ある意味で三谷さんの描く勇は、アーサー王(あるいは劉備)みたいだなと思っていたワタシ。今日の第13回「芹沢鴨、爆発」を観て、ますますその感を強めました♪

 

東の近藤と土方に対する西の西郷と大久保を、果たして誰にどのように演じさせるのか、楽しみになってきました。


バレバレ?!(笑)  【第14話『京へ到着』の感想】演出:伊勢田雅也

「そして、嫡男の秀二郎。ほれ、ご挨拶や。」

「拙者、八木家嫡男、八木秀二郎とは・・・、俺のことだ。」

 

思わず腕組んじゃった鴨さんと、その一派の凝視する様子に、チョット意表をつかれました♪

でも、建白書の意味がチャ~ンとわかっちゃってた新見さんには、「秀二郎」はもうバレバレなんじゃあ?

 

「ねぇねぇねぇねぇねぇ、天子様と上様はどっちがえらいんですか。」

「どっちもえらい。」

「じゃあ、天子様と上様が戦ったら、近藤さんはどっちに味方するんですか。」

「天子様と上様は戦わない。」

「例えばの話」

「例えばの話でも戦わない。」

「例えばぐらい戦ったっていいじゃないですか。」

「じゃあ聞くが、富士山と高尾山が戦ったらどうする。そんなばかな話、するだけ無駄だ。」

「高尾山の味方するにきまってるでしょ。地元だし。あ、でもさすがに勝つのは富士山かな。」

 

コレ、まるでどこかの(うちの?)父と子の会話みたい。(笑)

横で聞くとはなしに聞いていた山南さん、これで腑に落ちたのかも。

 

「こうじゃく寺はどちらでしょうか。」

「殿内さん?」

「散歩に出たら、自分の宿舎を忘れてしまって。」

「アンタしょっちゅう迷ってるね。」

「京はどれも似たような町並みで、上がるとか下がるとかもう、さっぱりわからないし。」

「聞いて来てあげましょう。」

「お願いします。いい人だ~♪」

 

今回もいい味出してた義雄さん。迷っても「天誅!」に出くわしちゃわない所がまだラッキー?!


沖田兄、行くか残るか、居たのか!?(笑)  【第15話『行くか、残るか』の感想】演出:清水一彦

今回も面白かった「新選組!」

武士という「身分」を否定して体制転覆を図る清河と、武士という「在り方」を自ら体現することを求め続ける近藤の対比が印象的でした。

 

「人を信じない人間に、命は預けられない。私はどこまでも近藤さんについていきます。」

こう言った山南さんも、そして永倉も、清河を逃がそうとする近藤チームとは若干別行動していたところが今後を示唆しているようでした。

それにしても再登場した斉藤さん、どうして近藤の意図がわかったのかしら?じっと陰から覗いてた!?と思ったら、ちゃんと山南と鴨の会話を聞いていたんですネ。我が家の旧式TVでは、暗闇での演出はほとんど真っ黒にしか観えないもので・・・★ スティーブン・乙女様、教えて下さりありがとうございます~♪

それにしても、そんなこんなで清河たちを追いつめた鴨チームが、火消し組の一団や、火事で逃げる(火事を観に行く?)人々の群れに遮られ、清河を逃してしまうシーンは、なんとなくドリフターズのギャグみたいでおもしろかったです。

 

さて、今回も出て来た食べ物談義(笑)。

ところてんに黒蜜、っててっきり「くずきり」のことを京では「ところてん」って言うのかと思って観ておりました~☆

長男は、「酢醤油よりもおいしそう♪」って言ってますし、是非一度体験したくなりました。

 

さて、ちょうど今回の放映日に、流山にある近藤勇の最後の陣屋跡を、初めて訪問してきました♪

そこにあった説明書きを読んで、三谷さんの描く勇や歳三は、実際の近藤や土方そのものだな~と、ますますリアルに感じた次第です♪

これまでの新選組物語で描かれて来たどの近藤よりも、リアルなんじゃないでしょうか。


誠の光と影  【第16話『一筆啓上、つね様』の感想】演出:清水一彦

近藤の酒の誘いを断った芹沢。

芹沢@三谷は近藤に切られたがり始めているのではないでしょうか。

本当は、近藤のような真っ直ぐな生き方をしたい、そう思い始めてもすでに遅い自分がいる。ならば、その近藤に切られて、いつからか捻くれてしまった人生の幕を引く。そんな望みを無意識のうちに抱き始めたように受けとめられました。

 

近藤の人柄に惚れた鵜殿様。

迷惑そうな佐々木の兄さんと繋いであげるなんて、さすが江戸っ子! 粋な真似をしてくれます。

お年寄りのああいう役回りって良いですね♪

 

近藤たちの意気に感じて彼らを自藩の預かりとした会津候。

若き藩主の「励め」の一言は、狼藉者芹沢の慇懃な言上とは対照的で、近藤ならずともぐっと来るものがありました。

 

今回の「新選組!」は、物語のテーマを改めて浮き彫りにしたお話だったように思います。

土方が「こういう時にはこうすればいい」というやり方を知っている男、山南が「大局の中でなすべきこと」を考える男であるなら、近藤@三谷はそのどちらも無い。ただ、「武士として在りたい」という素直な思いだけを持っていて、それが自己陶酔的なものでなく、多摩の人々が期待し盛り立ててくれたお陰で今の自分があると素直に感謝できる、その人柄がなによりの魅力である男。

これまでのお話の中では、彼の純粋さが放つ光が周囲の人物たちを照らし、引き寄せる様を通じて、主役である近藤の人間性がしっかりと描かれて来ました。「あんなの近藤じゃない」というバッシングを招くほどに。(笑)

今回のお話でも、動きが先に読める粕谷が内ゲバを危惧するのに対し、近藤@三谷はそんなことは起こさないと事もなげに誓いを立ててしまいます。

しかし、光は照らすものに影を作り、周囲の影が濃くなればなるほど、より一層輝こうとする。

これから始まる新選組での殺戮と離別の日々は、近藤@三谷に矛盾と葛藤しかもたらさないのかもしれません。そして、他の隊士や流山の人々の身を案じて出頭し、潔く最期の時に臨みながら、切腹を許されず打首獄門という扱いを受けるという悲劇に向かって、近藤@三谷は突き進んで行くのでしょう。

だからこそ三谷さんは、そんな主人公に全ての悲しみを背負わせないために、竜馬を早くから見知った心の友としておいたのだと思います。光と対峙して影を落とさずに居られる者、それは自ら同じ輝きを放つ者だから。

 

これからいやがうえにも過酷なエピソードが増す展開のなかで、軽快さを失うことなく人の哀しみとそれに向きあう強さを描いて見せてくれるものと、ますます期待は高まるばかりです。



芹沢 鴨  【第17話『はじまりの死』の感想】演出:伊勢田雅也

 

「あんたはどうなんだい。ここに居たいのか。」

お梅にそう問いかけながら、自分の心を問う芹沢。

 

「お前は何も見ちゃいねぇ。俺は悪い奴だ。」

沖田にそう告げることで、自分の業を確かめる芹沢。

 

「お前が騙されてると思ったんだよ、近藤。旅の格好してたんだ、仲間集めに行くと思ったんだよ。間違えるだろうが、誰だって!」

無様な言い訳をしてまでも、近藤に見限られまいと必死になる芹沢。

 

会津藩のお偉方を前にしてお行儀良く納まっている芹沢は、近藤を大空へと羽ばたかせるために、そして近藤を頼って自分も翔(かけ)ようと羽繕いをしている鳥のようでした。

にもかかわらず、己の業から逃れられずに、自分の羽を自らへし折ってしまわずにはおれない鴨の哀しみ。

これから彼は「悪い奴」として開き直るしかないのかも。

 

そしてそんな芹沢に引導を渡すのが、近藤を自分の手段とし始めている土方だとしたら、いくら汚れ役を自認している彼とは言え、これ以上は無いくらいのヒールになってしまいそうですが、果たして・・・。


土方歳三  【第17話『はじまりの死』の感想(2)】演出:伊勢田雅也

 

「二度とあいつにこんな思いはさせねぇ。憎まれ役は俺が引受ける、これからは全て。」

この土方のセリフで三谷さんは世間の土方ファンを敵に回したな♪ そうワタシは思いました。あのセリフはつまり、「近藤を傀儡化して自らが主導権を握るぞ」という宣言以外の何ものでもないですから。

 

京に居るのは「上様がお帰りになるまで」という近藤の意志をあからさまに否定し、殿内事件への対処について近藤の素直な思いを封じ込め、浪士組という手段を我が意のままに扱おうとする土方。その上で、皆の前では近藤のことを慮(おもんぱ)かっているかのような言動をする。

これまでも土方は、敢えて汚れ役を引受けるというよりは、自分が好んで取る立ち位置は世間的に見るとダーティーなものだってことを自覚していて、ある意味で開き直っているタイプと描かれているように見受けられましたが、それを言葉で明示することは無かったと思います。だから、土方好きの方にとっては「このお話のなかでは目先の効くやんちゃ小僧っていう役どころなんだな♪」って受け止められてたんじゃないでしょうか。でも、今回あのセリフでそうは言ってられなくなっちゃったはず。(単純に「さすが歳サマ、かっこいい自己犠牲♪」と思える方は別として・・・。)

 

人を信じることが出来ない清河を見限り近藤の誠実さに従うことを選んだ山南、京の地で路頭に迷わせてしまった門下の皆の身を案ずる近藤に、自分自身がどうしたいかだけ考えろと言った永倉、難しいことはよくわかんないけど困っているお久ばあさんを見たら背負わずには居られない左之助。

そんな彼らがあのセリフを聞いた時に示した表情が、今後の土方の本当の立場と隊士達の身の処し方を予感させるものとなっていると思います。腕組みしたまま斜めの視線を土方に向ける山南、正面を見据えた永倉、居心地の悪そうな左之助・・・。

まるで、自らが演出した舞台で「俺は主役の柄じゃないからヒール役で我慢するよ」って言いながら、『本当の美味しいところ』をさらっていく根っからのヤな奴。三谷さんは土方をそう位置づけていると感じたのはワタシだけ?

 

もっとも、これからの新選組は内憂外患が一気に増えていくなかで、外患との対峙が生む緊張感や勢いで近藤の胸中でさえ内憂が過小評価されていく、あるいは大義のための必要悪としてなんとか合理化されようとする、そんな流れがありそうな気がします。そして、それが本当の誠か、真の武士なのか、との葛藤が近藤を成長させ、土方との離別につながっていく・・・。そんな展開を見せてくれることを期待している今日この頃です。


永倉はかんざし届けに?  【第18話『初出動!壬生浪士』の感想】演出:伊勢田雅也

剣で人を斬ることと、組合った相手を放り投げること。それぞれの感覚がどのようなものなのかワタシにはわからないのですが、ギリギリのところで土俵を割らずに踏んばり八木家の敵(笑)又三郎を投げた斉藤は、刹那の居場所を求めて流れる日々から抜け出す力を自分のなかに見つけた、そんな気がしたのかもしれません。

 

今回のお話は斉藤だけでなく、大津の親戚の家に帰った阿比留さん、近藤に借りを作ったとはいえ殿内事件を不問にされることで実質アンタッチャブルの地位を得た芹沢、芹沢の庇護を受けたお梅、壬生浪士組の人事権を掌握した土方、近藤・芹沢両派融和のイベントを見事成功させた藤堂などなど、多くの登場人物にとって居場所が出来たなかで、近藤だけが何のためにここにいるのかわからない不安定な状態にいるというある意味で前回と次回の「つなぎ」のお話だったと思います。(沖田と秀次郎、左之助とお久ばあさんにとっても「つなぎ」の回でしたが・笑)

勝の命を受け海軍設立に奔走する竜馬の話に当てられ、芹沢派との駆け引きは土方に牛耳られ、素性の知れない町娘に気を惹かれ・・・。この状況から抜け出したい、そんな気持ちの近藤にとって久坂の数え歌撤去指令は渡りに舟だった。そしてその舟に乗った近藤は自ら血で血を洗う抗争の荒海へと漕ぎ出していく。

 

・・・でもなんかインパクト薄くないかなぁ、「初出動!壬生浪士」。

山南に長州と敵対する事態の重大さを語らせてはいますが、実際にやったことというのは幕府を揶揄した数え歌を掲げた立札を引き抜くこと。左之助のパフォーマンスではカバーしきれない地味な事件ですよね。前回のように否が応でも緊張感が高まるお話の時には、伊勢田さんの演出はビシッとハマるのですが、今回のようなお話には清水さんの演出の方が良さそう、って思ってしまったのはワタシだけでしょうか。

緊張感を持続し次回へつなげるっていう意図があったなら、町の人々が一斉に退(ひ)いてしまうとか、いっそ看板撤去の際に久坂らを絡ませちゃうとか、山南の危惧を具体的にイメージさせるような演出があった方が良かったのでは?

 

とはいうものの、我が家の次男坊は「今日の新選組はおもしろかった♪ いつもは恐いところがあるから土曜日の再放送は見たくないんだけど、今日のだったら土曜日にもう一回見たくなる♪」と言ってるし、男装の秀次郎もホントいい味だしてるし、幅広い層に向けて作られている大河ドラマとしては、こういう回もありなのかもしれませんね。

全体としては15代当主の八木喜久男さんが怒る(?)ほどのことも無いと思ってる我が家です♪(笑)



今回も濃かった♪  【第19話『通夜の日に』の感想】演出:吉田浩樹

 

 「近藤先生よぉ、思うようにやってみなよ。俺は後からついていく。」

押し込みまがいの金策を土方に咎められても悪びれるどころか、こんな台詞を吐いてしまう芹沢。

汚れ役を気取りながらも、実は策士然と振舞い近藤に指図する土方。

悪役対決勝負あった!って感じですね。

 

それにしても、芹沢のこの言葉に応える言葉を持たず、土方を見やるしかない近藤。

「島田さんも道に自信がないなら最初からそう言えばいいのに。人が良いというか、なんというか。」

彼の自戒に聞こえるようなこの台詞を、彼のお陰でやっと道が見つかった斉藤の前で言わせてしまう三谷脚本、流石です!


お梅  【第20話『鴨を酔わすな』の感想】演出:吉田浩樹

 「むしゃくしゃしてるから斬った、それだけだ。」

芹沢は殿内殺しの動機をそう告げました。彼自身、自分の本心がどこにあるのか、わからなくなっているのかもしれません。

ただ、気がつくと取り返しのつかないことをしてしまっている自分がいる。

「俺は誰も信じねぇし、誰にも信じてもらえねぇ。」

そんな彼は、お梅に何を見ているのでしょうか。そしてお梅は鴨に何を託しているのでしょう?

 

男を破滅させ、恨まれ、追いやられ、その挙げ句に全ての男に仇なすことを心に決めたお梅。

破滅型の典型であるはずの鴨が、真っ直ぐな近藤を破滅させるどころか、彼の放つ光に落とす自分の影の大きさを恐れ始めたとき、お梅は鴨と近藤のどちらをより大きな敵と捉えるのでしょうか。

 

もしかして三谷さん、お梅に芹沢を殺させるんじゃあ・・・。

そして、お梅を総司が!?

 

もはや、龍馬と近藤が昵懇(じっこん)だった、っていう設定に何の違和感も感じない三谷脚本。

どんな展開を見せてくれるか、ますます楽しみです♪


それぞれの本性  【第21話『どっこい事件』の感想】演出:清水一彦

壬生の近藤の目が届かない大坂。

これまでそこで芹沢が見せていた押し込みの如き振る舞いは、あるいは本当に浪士組全体のためを思ってのことだったのかも知れません。

そこでなら、自分の前を行く近藤に泥をかけずにすむ。

しかし、前回のラストで芹沢が近藤を前にして、まるで自分に言い聞かせるかのように自分の胸の内を吐き出した後、彼は開き直ってしまったように見えます。

何をどうやっても、近藤に影を落とさずにはいられない。ならば、いっそのこと己の影で近藤を覆ってしまえ。それが嫌なら、近藤が自分から離れれば良い。

近藤たち試衛館組も同道している大坂で起こしたどっこい事件は、そんな鴨の決意表明のようにもとれました。しかし、またしても・・・。

 

壬生に残した土方の息がかからない大坂。

京に上ってからこのかた、何かあるたび自分の主体性を土方に預けていた近藤も、この地だからこそ己に正直な振る舞いが出来たのかも知れません。

自分が不在の間に芹沢が起こしたどっこい事件は、策を弄することを嫌う己の本性に真っすぐに向きあう機会を近藤に与える結果になったのでしょう。

しかし、沖田も己の本性を知ってしまい・・・。

 

壬生では、お梅と土方が互いの本性をあぶり出しあう会話を交わすなど、いつにも増して重めのエピソード盛りだくさんだった今回のお話。

そのせいか、それぞれのエピソードの描き込みが弱かったような気がしたのはワタシだけでしょうか。例えば相撲取りの親方があまりに物わかりが良かったこととか、土方たちが集めた新入り隊士たちが新見の演説を素直に受け入れちゃうこととか・・・。

どうせ盛りだくさんなら、舞の海の「鴨だまし」も見せてほしかった~☆(ウソ)



サンライズ サンセット  【第22話『屋根の上の鴨』の感想】演出:伊勢田雅也

「実際にあったかどうかというのはどうでもいいのです。その話が本当だということがかんじんなのです。ある話が、実際にもその話のとおりおこるかもしれないなら、その話は本当なのです。わかりましたか。それがわかったら、みなさんは芸術の重要な法則を理解したというものです。」

エーリッヒ・ケストナーが『点子ちゃんとアントン』の前おきのなかで書いている、この言葉を改めて思い起こさせる、そんなお話だった22話♪

 

以前、相撲大会で打ち解けた芹沢一派と試衛館組の一般隊士たち。しかし、小野川部屋の壬生興行の日に再び鮮明になる「陰」と「陽」の対比・・・ウ~ン、うまい!

 

近藤に出し抜かれたとひがむ芹沢を、なだめすかして浪士組解散を思いとどまらせる新見。

会津候と昵懇(じっこん)になっていく近藤への敵愾心を煽り、芹沢に暴発をけしかけるお梅。

二人の中にある企(たくら)みの影・・・ウ~ン、恐い★

 

芹沢に引き出された自分の本質に戸惑い、次第に輝きを失い近藤の顔を見られなくなった沖田。

大和屋の屋根にのぼり酒をあおりながら、駆け付けた近藤と目を合わせることが出来ない芹沢。

二人が隠せない、邪な自分への後ろめたさ・・・ウ~ン、哀しい★

 

個人の、そして小さな組織の内輪の葛藤の最中に、大局のせめぎ合いを知らせる疾風のような竜馬。

呼ばれもしないのに現れて、どうでも良いような騒動をもたらすちっちゃなつむじ風のような捨助。

それぞれの風が運んだものが、浪士組にどんな変化をもたらすことになるのか・・・ウ~ン、楽しみ♪

 

今回のお話には、一緒に見ていた子供たちには恐いシーンもありましたが、全体的に減り張りが利いていてとても面白かったです。

 

ところで、傍若無人な振る舞いと、銭の工面という役割でしか近藤たちに貢献していないという役回りでは、とても良く似ている捨助と鴨。

でも、捨助はそんなに害はないのにすぐにどっかへ連れてかれちゃうのに対して、鴨は迷惑甚だしいにも関わらずなかなか遠ざけられない。

この二人を分けるものって、一体何なんでしょうか?(笑)



すべてはこの絆  【第23話『政変.八月十八日』の感想】演出:伊勢田雅也

新見は、どこまで芹沢を御しているつもりだったのでしょうか。

あるいは、自分だけは芹沢に信任されていると信じていたのでしょうか。

新見が芹沢に「腹切れ」と言われたシーン、ホントこわかった~★

 

芹沢を浪士組から除く機会だと近藤に詰め寄り、桂を京から除くことができるとはしゃぎ、長州の後には薩摩が帝を担ぐとなれば薩摩をやっつければいいとシンプルに言い切る土方。会津藩の信頼を勝ち取るためには、「喜んで修羅の道に踏み込んでやる」と雨空を見上げる土方。

でも、以前にも「憎まれ役は俺が引受ける、これからは全て。」って啖呵を切ってましたが、これまでそれらしきことはやってません。憎まれ口は叩いてるけど。

どっちかっていうと、芹沢一派がその役回りをやってくれています。

やっぱり土方@三谷は、ダーティーヒーローを気取りながら、自分にとって都合の悪い存在を排除することに張り合いを感じる卑屈な仕切り屋、っていうキャラに見えます。

こんな土方と近藤の関係は、これからどんな形になって行くのでしょうか。

 

長州との対決を前にして、容保公が近藤だけに話したその胸中。

「余はその方に自分の姿を見た。そして知ったのだ。人のつながりは時の長さではないと。人は一瞬にして、親よりも深い絆を得ることがあるということを。」

孝明帝にとっての自分、自分にとっての近藤・・・。

芹沢と新見、近藤と土方の間にあるものとは大きく異なるこの絆、もしかすると芹沢から歪んだ形で近藤に向けられているこの絆は、一体なんと呼べばいいものなのでしょうか。

幕末という時代、そして新選組という集団の中で、繰り返される反目と離反、粛正の嵐。

その中にあって浮き彫りにされるテーマこそ、この絆なのかも・・・。



生き死に見ん(IKISHINIMIIN)新見錦(NIIMI NISHIKI) 

【第24話『避けては通れぬ道』の感想】演出:清水一彦

絶品の心理劇だった、今回の新見アワー♪

そのクライマックスは、土方と山南に嵌(は)められ、芹沢に引導を渡された新見の最後。

仇役の哀れな末路なのに、観ていて溜飲が下がらないというところが凄い!

例えば、古畑任三郎とかコロンボなんかも、なかなか尻尾を出さない本ボシをあげるためにトリッキーなことを仕掛けたりしますよね。構造としてはそれと変わらないのに、なんでこんなに後味悪いんでしょう!(←賛辞ですよ☆)

 

「人は、二つに分けられます。人の上に立つ者とそうでない者。人の上に立ってはいけない人が人の上に立つというのは、実に不幸なことです。しかしもっと不幸なのは、人の上に立たねばならぬ人が人の上にいないということ。」

 

壬生浪士組を自分達のものにすることで頭がいっぱいの奴らに周りを固められた近藤が、真の意味で人の上に立つ日は来るのでしょうか・・・。


天晴れ! 芹沢  【第25話『新選組誕生』の感想】演出:清水一彦

長生きしたくなって斉藤を用心棒に従え始める女々しい芹沢と、近藤の真っ直ぐさに「かくありたい自分」をつい取り戻しちゃう芹沢。

芹沢は最後まで芹沢でした。

 

それに引換え、近藤は・・・!? 

芹沢に言われたからって、そう簡単に鬼になれるの~? おまけに、自ら芹沢を斬りに行くならまだしも、土方に浪士組の行く末を託しちゃうなんて。

まあある意味、近藤も何も変わってはいないんですけどね。緊迫した状況の中、血が頭に登った勢いで大向こうをあっと言わせるような行動や発言をして、グイグイと前に進んでいく。で、進んじゃった後から困惑しちゃう・・・。

ただ、物語の展開としてちょっと心配なのは、これからの近藤は困惑することなく、本気で鬼になっちゃうのかも・・・っていうこと。襲撃から一夜明けた芹沢の告別式で、ギレンばりの檄文読み上げちゃってるし★

ワタシとしては、やっぱり「本当の自分」と「今の自分」のギャップに悩み続けて流山に至る、そんな近藤の物語を観たいなぁ。

 

その他の今日のツッコミ。

 

芹沢一派に拾われ、今また路頭に迷うことになった野口。

彼のような地方士族が背負う貧困の影が限りなく薄いのも、今さらながら気になるところでした。ここで描いておいてくれれば、永倉や左之助のパックボーンもカバーできちゃったはずなのに・・・。

 

芹沢に駆け落ちを持ちかけ、最後に幸せを夢見てしまうお梅の死に様。

彼女には最後まで憎まれ口を叩いて死んでいって欲しかった。口では全ての男を呪う言葉を吐きながら、倒れた芹沢の刀をとって自刃する…っていうほうが、彼女らしい最期だったと思うのはワタシだけなんだろうなぁ★



新選組!の行く末、捨助に託したっ!  【第26話『局長 近藤勇』の感想】演出:伊勢田雅也

深雪太夫を待ちながら、つねに近況を伝える文を認(したた)める勇。

武士道へのこだわりを強く抱いていた頃にはきれいに剃っていた月代は、豊かな総髪に変わっていました。

 

勇が一旦書付けて、結局破り捨てた便箋には、髪が生え揃うまでの日々の葛藤が込められていたはず。

でも、画面では与力・内山襲撃の顛末が自己弁護的に描かれたのみ。この時既に勇の頭には月代はありませんでした。

ウ~ン、このあたりがしっくりこない★

諸藩が協調して国難に当たるべしと言いながら、身近な敵に対しては私憤を義憤へとすり替え、これを闇討ちにする。

この大いなる自己矛盾の中でもだえ苦しむ近藤が描かれたうえでのことであれば、彼が敢えて自己欺瞞の中で道を拓こうとする姿への「変身」も、もっとすんなり受止められたのでは・・・。

 

芹沢の死以後の試衛館組それぞれの心模様をきっちりと描くことが、「誰も見た事のない新選組物語」にとっては必要不可欠だったのではないかとも思ったり。

来週からいきなり二回に分けて池田屋事件を描くなら、今回のようなお話も二回に分けて、生え揃わない髪で無様な勇の月代を描いて欲しかった。

 

全体として消化不良の感がある中で、勇がいくら自分自身をだまそうとしても、つねにはそれがわかってしまう、ということを暗示したラストにすこしホッとしました。

 

降り積もる深雪に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ by 昭和天皇


面白いからなおさら・・・ 【第27話『直前、池田屋事件』の感想】演出:伊勢田雅也

永倉の実直で人一倍真面目な性格は、これまでにも十分描かれています。

そして、新選組隊士である以前に一人の武士としての行動を優先するタイプであることも、いくつかのエピソードを通じて表現されています。

でも、やっぱりしっくりこないんですよね。浪士組から新選組に至るまでの間にいくどかあった重大事件のことごとくから、なんで無縁であり得たんでしょうか? 実直なキャラであればなおさら、周囲の不穏な空気に敏感なはずでは?

そもそも副長助勤という役目がある以上、組の談合に一切参加しないってことはありえないんじゃあ・・・。

斎藤の「知ってて深入りしない」キャラがうまく描かれているだけに、永倉と組との関係は消化不良の感が拭い切れません。

 

おまさに恋文を認(したた)め、見事に断られた左之助。おまさの気持ちを伝える近藤にため口で拗ねてみせる彼は、芹沢暗殺だけでなく内山襲撃にも関わっていながら、近藤に対してその心情を一切斟酌することなく、ざっくばらんに接することができるキャラなんですよね。だったらきっと、芹沢暗殺から今に至るまでの近藤の苦悩に対して、折りに触れ何の配慮もなく「近藤さん、最近あんた暗いよ。」って言っちゃってくれたはず。

近藤の心模様の描き込みが物足りないと感じるのは、そんなちょっとしたエピソードが不足しているせいなのかも知れません。

今回、近藤が新参隊士にヒアリングかける場面がありましたが、近藤の心理描写としては取って付けたようなエピソードで、どちらかといえば新キャラ葛山の紹介のために置かれた印象の方が強く残りました。

 

個々の史実とその流れを独自に解釈して物語を紡ぐ、つまり史実のつじつまを合わせてストーリーを展開するのが三谷新選組の真骨頂のはず。でも最近の新選組!は、芹沢暗殺までに確立したそれぞれの人物をこれから起こる史実と大急ぎでつじつま合わせようと四苦八苦しているように見えるのはワタシだけでしょうか。



うっかり捨助、未来を変える 【第28話『そして池田屋へ』の感想】演出:清水一彦

祇園祭で賑わう京の町に火を放って京都守護職を討ち、容保公を騙って帝を拉致、長州に遷す。

誰の目にも卑怯なこの企てを立てた過激派の熱狂は、桂の力を持ってしても食い止めることが出来ないほどに高まっていたという前提。そこに立てば、新選組による池田屋突入がなければ、数多の無垢の犠牲者が出たことは火を見るより明らか。

おまけに、京都の住人である八木家当主は、近藤の問いかけに対して素朴な、しかし気骨溢れる正義への期待を新選組に託している一方で、会津藩内部にはお家大事を理由に主君の意を曲げる奸臣もいる。

これだけの段取りをふまえて描かれた池田屋事件は、これまでの後ろ暗さがつきまとう刃傷沙汰とは全く異なる事件でした。

おそらくは、浪士組結成以来初めて、近藤は自らが局長の立場にある意義を堂々と自覚できたのではないでしょうか。そしてそれは、冒頭の軍議の場で沖田が驚くほどに声を荒げ、私闘を楽しむかのような土方の態度を一喝した山南にも同じことが言えるように思われます。

画期的なカメラワークだったらしい大立ち回りのシーンは、我が家のTVでは真っ暗闇でその凄さがあんまり良く分からなかったけど、近藤・永倉・藤堂の真面目組の真摯な剣捌きの雰囲気も格好よく、久々に引き込まれたお話でした・・・龍馬の嘆き節を聞くまでは。

 

龍馬が、尊攘過激派に身を置いていた友、亀弥太の訃報に心乱されるのはよく分かります。自分には見える日本のあるべき姿が、また遠のいたように思われたのも自然でしょう。でも、今回のお話の流れの中で「日本人同士が殺し合う」愚を責めるなら、それは近藤に対してではなく、亀弥太たち過激派に対してでなければおかしいんじゃあ・・・。

「亀、急がば回れとあれほど言うたきに」(←土佐弁不詳☆)とか、「近藤さん、あんたの真面目さは、火種を消し切るどころか煽る風になっちまいかねんぜよ」(←土佐弁不詳☆)とか、勝海舟と意気投合するキャラならではの言葉がおかれていれば、三谷さん流の小気味良い辛辣さが味わえたんじゃないかなぁ・・・。

 

ところで、池田屋事件が維新を一年遅らせた、という一見もっともな評論があるようですが、果たしてどうなんでしょうね。

新選組が過激派を掃討しなければ京は焼け野原になり、長州過激派の傀儡となった帝を巡って日本はより大きな混乱と分裂に見舞われていたはず。薩摩と長州は体制転換の主導権争いを繰り広げ、いくら龍馬が奔走したところで両藩が手を携えて幕府に対抗するなどという展開は生じなかったかも知れません。それどころか、朝廷という日本の軸が失われることで、諸外国との交渉が一層多元化し、最悪の場合は龍馬が最も危惧した結果、つまり清国の如き西洋の植民地化を自ら招くことにもなったでしょう。

歴史を結果から見る愚は避けたいもの、改めてそう思わせてくれる新選組!です。



この国のために  【第29話『長州を討て』の感想】演出:山本敏彦

自分の所業について全ての答えが出て、ついに最期の時を迎えて初めて迷う久坂。

倒幕派追討の日々のなか、折りに触れ迷ってしまう近藤。

「国を思う己の心に誠があるならば、迷うことはない。近藤君、己を信じて生きたまえ。」

佐久間象山の遺したこの言葉、含蓄があります。

 

京の町に火の手が上がり、暮らすもの、攻めるもの、そして守るものに多くの犠牲が出た重めのお話でしたが、久々に三谷色満載で素直に楽しめました。

男勝りと評判の寺田屋お登勢に、勇の婚礼の日のみつと同じことをさせて、近藤に目こぼしさせるところなんかは、ホントお上手!

そういえば、戸田恵子って、沢口靖子と野際陽子を足して二で割ったような顔立ちだと思いません?


土方にひでの爪の垢でも飲ませたい  

【第30話『永倉新八、反乱』&第31話『江戸へ帰る』の感想】演出:山本敏彦/伊勢田雅也

主体性のなさと適度に使えるその才故に、組織の駒として使われ、捨てられていく葛山。

その極めて平凡なキャラ故に、新選組に集う人々の個性の強烈さを改めて浮き彫りにするという意味では、彼はまさに一連の回の主役でした。

そんな重要な役どころを見事に自然体で演じ切った平畠さんと、彼を葛山に充てた三谷さんのセンスに脱帽です。平成の平田満の誕生か!?

 

人は皆、欲得により動き、力に服するものと捉える土方。

公平さや信頼感が人をつなぐものとは思えない彼にとって、組織の維持それ自体がまさに一大事。

世の中のために新選組で何を為すかということではなく、新選組がどれだけ強い組織になるかだけを考える彼には、どんな綻びも見過ごすわけには行かないのでしょう。それが自分が作った綻びであればなおさら、強引に締め付けないと安心できないっていう人、結構いますよね。

それでいて、「やりたくてやってるんじゃない」と弱音(それはそれで本音なんでしょうが)を吐いてみせるところなんかもあまりにリアル。それに同情しちゃう源さん的な人もリアル。(彼もロクな死に方しなさそう★)

ワタシにとってのドラマ史上最強ヒール、土方を徹底して描いていく三谷さん、流石です。

 

世の中の表舞台で働きたいという自らの野心を人に預けて来たことで、自らを袋小路に追い込んでいく山南。

人心を集める近藤を焚き付け江戸を出て、奸計を以ってでも浪士組の拡大を進める土方の尻馬に乗って来たことを自覚している彼には、今自分が立つ舞台が望んだものと違うものであることを声高に叫ぶことが出来ない。永倉の素朴な正義感の背中を押して綻びを広げ、仕立て直しを画策するも、強権土方の前には為す術もなし。

彼は、土方とは違って自分の力で世の中を変えたいと思っていたはずですが、そもそも彼が憂いていた世の中とは何だったのでしょうか。黒船の出現により揺らいだ、観念としての社会? それとも、経済構造の変化の流れの中で、暗く疲弊する村里?

これまで、仙台出身の山南の社会観があまり描かれてこなかったことに少々不満があったのですが、明里との、というより明里の問わず語りを聞く山南の描写で全て納得できたような気がします。彼には実体験としての貧困は背負わせない方が正解だったんですね。

ここでも三谷さんの本の深さを実感。

 

むさい男たちが閉じこもる謹慎部屋で、鼻に詰め物して継ぎ接ぎ縫い物してるおひでちゃん。

確かに臭いは気にならないかもしれないけど、汗で湿った空気をもろに口から吸い込んじゃいます。

でも、左之助の恋路を応援するためならヘッチャラなんですね♪



今まで言いたくて言えなかったこと、三題  【第32話『山南脱走』の感想】演出:伊勢田雅也

その1

三谷さんの新選組!には、やっぱり伊勢田さんの演出が一番!

 

その2

甲子太郎に「雄弁ではあるが詰めが甘い」と言われちゃう山南さん。でもそれは、周りを信じて預けちゃうところがあるからなんでしょうね。なんだか共感しちゃうなぁ。

でも周りの人は「彼女の発言には、なぜ誰も応じない?」って思ってるんだろうなあ、きっと。(笑)

 

その3

捨助、天狗呼ばわりってことは、彼こそ鞍馬天狗!?

っていうより三谷さん、もしかしてウチの小ネタ読みに来てる?

ワタシこそ天狗か♪


屈指のエピソード  【第33話『友の死』の感想】演出:伊勢田雅也

「あんたの進むべき道は俺が知ってる」

前回の土方のこの言葉を聞いて、「ハイそうですか」と素直に従うことの出来る人はどれほどいるでしょうか。

 

志を預け、共に築いて来たはずの新選組には、自分の居るべき場所はなくなってしまった。

居場所がないのに留まり自分を捨てることも卑怯、葛山を死なせておいて自分だけ逃げ延びることも卑怯。

せめて、貧困からその身を売られた娘を郷里へ帰す道が、今の自分の進むべき道。

 

はじめは誰かを除くために作ったものとは言え、今の法度は隊の結束を高めるためのもの。

俺の言う通りにしていれば誰も腹を切らずにすむはずなのに、なぜそうならない。

そして今、俺がこうして目をつぶっているのに、山南はなぜ逃げない。

これから向かう死出の旅路は、俺の知っていたあんたの進むべき道ではない。

 

「悔やむことはない。君は正しかった。私を許せば隊の規律は乱れる。私が腹を切ることで、新選組の結束はより固まる。それが総長である私の、最期の仕事です。」

屯所に戻り、切腹の時を待つ山南の助命を請う者、あるいは密かに逃がそうとする者。

山南の死を前にひとつに繋がる隊士たち。

これから新選組の隊士たちを繋ぐものは、心の絆か、切腹への恐怖か。

 

おそらくは初めて目の当たりにしたであろう「本当の切腹」。

生まれながらの武士である山南の見事な最期のあと、堰を切ったように泣き続ける土方と近藤の涙には多摩の土の色が滲んでいるようでした。



託されなかった男の寺田屋大騒動  【第34話『寺田屋大騒動』の感想】演出:山本敏彦

厳粛な友の死から一転して小芝居の嵐が吹き荒れた今回のエピソード。素直に大笑いさせて頂きました♪

でも、これを単に気分転換と受け止めてしまったら、三谷脚本が泣くというもの。

 

「あなたを京へ呼んだのは、あなたを愛しく思うから。あとは方便。」

つねにそう見抜かれてしまう勇は、京に上って以来ごまかしの日々を過ごしてきました。

これまで行なわれてきた数々の粛正は、近藤のため、新選組のため、ご公儀のためという方便で正当化されてきました。

法度は曲げないと言いつつ、脱走した山南を暗黙裡に逃がそうとしたのもごまかしです。

 

山南が、自分に対して正直であるために行動を起こし、周囲に対して正直であるために法度に従って死んだというのに、そのメッセージを受け止めることを拒むように癒しの世界へと逃れていく新選組の面々。

死を覚悟した山南が日本の未来を近藤にではなく龍馬に託したのも、託された龍馬が近藤と決別したのもむべなるかな。

「私たちの力で幕府を立て直そうとは思わないのですか。」

自分の吐いた言葉が、自分が吐いた言葉であるがゆえに龍馬に捨て置かれてしまった寺田屋の風呂場。

一人残された近藤には、顔を洗うお湯も熱過ぎたのかもしれません。

 

それにしても 「新選組!」は大河の一年間というスパンを生かして、近藤@三谷の行為と言葉が生じる一連の成り行きを、私たち観客にじっくりと受け止めさせていますね~♪

16話「一筆啓上、つね様」の感想の際、「新選組!」を悲劇と表現した私ですが、改めて「近藤@三谷は日本のオイディプスなんだ!」と気づいた日曜日。というのも「新選組!」34話放映後に、NHK教育で10時から2時間に渡り放映された蜷川氏の「オイディプス王」アテネ公演を観たからでした。

 

初めて観るギリシャ悲劇は、遅くまで起きているのが苦手な私がついラストまで観届けてしまった程、見応えのあるものでした。

でも、『オイディプス王』ってこんな感じだったっけ? ウ~ン、何かが違ぁ~う★

真夜中にもかかわらず、本棚を引っ掻き回して見つけ出した岩波文庫、藤沢令夫氏翻訳本。

何年かぶりに読み返してみてわかったのは、叫び、挑み続ける蜷川オイディプスからは、運命と神を呪い続ける現代風な空気こそ感じられても、悲劇の大切なモチーフである悲壮さが、ついぞ感じられなかったということ。

野村萬斎は好きなのにぃ・・・。(泣)

 

主人公の王が民のため、己のためによかれと思って為した事柄、発した言葉のひとつひとつから、いつしか己の真実に気付かされ、その罪への罰を甘んじて受けるという荘厳な物語『オイディプス王』。

これって、大河「新選組!」のプロットそのものなのでは?

堺さん@山南がその死と引換えに近藤達に示そうとした「真実」。

果たして香取クン@近藤は、それに向き合うことができるでしょうか。

そしてその時生じるであろう運命の激しい逆転を、彼は受け入れられるでしょうか・・・。



幕間の・・・!?  【第35話『さらば壬生村』の感想】演出:山本敏彦

よし、気をつけろよ。よぉし、ああ、もう少し右、うん、もう少し右、もうすこし、あいっ、そこでよし、だいじょぶ。よしよし、うん。おい、浅野ぉ、手が休んでるぞ。お前、なにやってる、あぁもお・・・。

あっ、桂さんもなにやってるの!? 汁が作れないなら、せめて生醤油ぶっかけましょうよ、生醤油! ちょっとちょっとちょっとぉ、うどん屋が屋台の前に出てきちゃまずいでしょ。ああもぉ、夜の小路の真ん中で立ち話なんてありえないよなぁ・・・。ほぉら、斎藤さんが道草食ってうどんを頼んで鉢合わせ、っていう段取りが組めなくなっちゃったじゃないですか。斎藤さんの『出来るっ』ていうボケ、薄まっちゃいましたよ。

あれっ!? 薩摩の西郷さんっ、岩倉公が焼いたサツマ芋の半分落としちゃったら不吉じゃないですか、早く拾って拾って! じゃないと、岩倉公も火中の栗を拾ってくれないですよ。

あぁもぉ、いいんですかぁ、これでぇ!?


山南の死の影が感じられない今日この頃(泣)

【第36話『対決見廻組!』の感想】演出:伊勢田雅也

夜の京都を駆ける天狗。

袋小路に追い込まれ、絶対絶命の大ピンチ。

背後に迫る新選組と見廻組が互いに手柄を争うその隙を衝き、鼠小僧よろしく高塀の向こうへと颯爽と消えていく・・・のかと思えば、あっさり正体バレちゃいましたね、捨助天狗。

 

桂からは見限られ、お龍にも袖にされ、天狗の正体もばれちゃって、人生の袋小路に入り込んだ捨助が出した火事から京の人々を救うために新選組が奔走している間、日本を変えるための大火事を起こそうと西郷と談判する龍馬。

果たして近藤は、佐々木に認められたその手腕で、龍馬が仕掛ける大火事の火の粉に市井の人々が巻き込まれることを防ぐ役回りを果たしきれるのでしょうか・・・。


大久保登場! 小栗もぜひ♪  【第37話『薩長同盟締結!』の感想】演出:清水一彦

自分が手にかけた男の後家に思いを寄せてしまった松原。

土方に意地悪く責め立てられ、けじめをつけるためにお初の家に出向き、思いもよらない形でのお初のけじめを受け入れた松原。

確かに義侠心から始まったとは言え、松原はもっと自重すべきだったのでしょう。だから、全てが終わったあとの土方の収拾の仕方は、いかにも自分を悪者にして事を無難に収めたようにも見えます。

でも、本当に事柄を無難に収めるためには、土方は松原を寺のどっかに謹慎させれば良かったはず。横恋慕した女に刺されようが、この世で添い遂げられない立場の二人の心中だろうが、隊士の死亡事件としては褒められたことじゃないのは同じことですもんね。事態を最悪の状況に追い込むことなく収拾することが出来ない、というより追い込んじゃっておいて、泥は全てオレが被るとヒロイックな心情に浸る土方。相変わらずです。

 

そういえば、前回の「対決見廻組!」でも、京の町を包む炎から町の人々を救うための軍議の場でも、自分の気持ちをぶつけるだけで状況を改善できない土方が描かれていましたね。

遅れて到着し、策を練るよりもまず行動をとその場から立ち去ろうとする見廻組の佐々木に、「それぞれが勝手に行動しては、騒ぎが大きくなるだけです。」と諭す近藤。「見廻組は公儀御直参である。その方たちの意見は聞かん。」と頑なになる佐々木。そんな二人の間に割って入った土方は「それじゃあ困るんだ。ここは、我らに従って頂きましょう。」と、相手を煽るような物言いで、佐々木を一層硬化させてしまいました。

結局、「先に到着したのは、我ら新選組です。遅れをとったのは見廻組。先陣はこちらだと、潔く認めて頂きたい。」と、クールに筋論を示した伊東のお陰でこの場は収まりましたが、ここでも相手を従わせるには「論より力」の土方がしっかりと表現されていました。

 

そんな土方に対して、二人は一心同体であることを認めた近藤。今回の松原事件は、土方路線を公式に承認したという意味で、実はとても重要なエピソードだと思うのです。

幕府側の人間である松本医師には幕府の対長州には大義がないことを指摘される一方、かつての心の友・龍馬は薩長を結びつけて幕府を倒そうと画策しているようす。混沌とした政局の中、確実に一大勢力となった新選組を改めて土方に預けた近藤の気持ちは、自らの本質に照らして本当のものなのか、それとも自分の進むべき道を見いだすことが出来ない迷いから無意識のうちに目を逸らそうと現状肯定に流れたものなのか。ある意味、物語の大きな分岐点だったはず。

 

でもそのわりには、何となく「またか、土方」で済んでしまいそうな流れに見えてしまったのはなぜでしょう。

それはきっと、最近の「新選組!」が「群衆の視線」で描かれていないせいかも。京の人々の新選組への心情は、折りに触れ台詞で語られていますが、それ以上の描写はありません。捨助火事の折りにも、自分達を快く思わない人々を助けるために奮闘する新選組の姿は見られませんでした。

今回の松原の一件にしても、京の世論というか町の雰囲気を普段からきっちり描いたうえで、さらに長屋の住人の視線で追い打ちをかけていれば、もうちょっと違った印象になっていたはず。

龍馬や西郷、桂たちが大局の中で活発に動いている時期である分、市井の人々との関わりの中で自分達の立ち位置を探す近藤を描いておいて欲しかったなぁ。

 

ところで先日、流山の市立博物館で開かれていた「新選組流山に入る」を見てきたんですが、そこにあった資料には「近藤は土方の言を受けて投降したといわれている。」と書かれていました。

もし「新選組!」のラストがこの説に沿ったものになるのなら、今回のお話の近藤は最終回に向けて自ら傀儡路線を確立したことになりますが、ワタシとしては最期まで違った結末を期待しています♪



近藤さんに出来ることが何故あんたに出来ない  

【第38話『ある隊士の死』の感想】演出:山本敏彦

浪士組として江戸を発つとき清河を買収して近藤を役付きにしたり、ニセ手形を売って小野川部屋の壬生興行を成功させたりと商才に長けた土方。そんな彼にすれば、他の隊士のためにお金に融通をきかせただけの河合の気持ちは、これまで自分が切腹に追いやった誰に対してよりも自然に理解できたのでしょう。だから、切腹に臨む者にも、切腹を申し付けた自分の中にも、納得できる道理が見つからないなかで進展する事態を前に、それが不条理であると認めないわけにはいかない。そんな彼の心情が、「近藤さんがいれば救ってくれたはずなのに」という台詞として置かれていたのだと受け止めました。

 

これまでであれば、たとえ近藤が助命を指示しようが「隊の規律」を理由に拒否していたはずの土方が、山南の死を持って「一切の例外を認めない」と言いながらも近藤の寛容さにすがろうとしている矛盾に満ちた姿。新選組と士道のためという大義名分のもと、多くの隊士を切腹へと追いやってきた土方ですが、今回の河合事件を通して、これまでの全てはまさに自分の気質から生まれている不条理であることを自覚せざるを得なくなってきたのかもしれません。

とは言え、あくまでも縛らねば人はまとまらない、というポリシーに自ら縛られてしまっている土方のようなキャラが上に立っちゃうと、やっぱり周囲は息苦しくって離れていきますよね。隊の結束を固めるための法度と自らの采配ゆえに、多くの隊士が離反していくという矛盾が表面化したとき、果たして土方はどのような変化を見せるのでしょうか。

 

変化と言えば、これまで自分が介錯してきた隊士たちの悪夢にうなされる斎藤ですが、ちょっと唐突な感がありました。これまでのお話の数話のなかに散らしておけば、より自然だったような・・・。河合の介錯を拒む布石として、慌てて置いたようにも見えます。

まあ、普段はぼぉ~っとしてる彼のこと、ようやく自責の念に苛まれ始めたとしてもおかしくはないのかも。というより、会津公への建白書事件の中心にいながら葛山の切腹のあとも爆発せず、山南の一件の後は女性に逃避しちゃってる永倉に比べれば、人として前向きな変化を見せているのかもしれません。そんな斎藤が甲子太郎一派に間者として入り込む経緯と、その後の油小路事件での役回りがどう描かれるのか、今から興味津々です。

 

ところで、優れた勘定方を失った新選組。これから会計管理はザルになっちゃって、隊費が浪費されていくのは必定。おまけに薩長との戦いで消耗したら、江戸に落ちていくころには軍資金は底をついちゃうんじゃあ。土方さん、なんとかしなくっちゃ。そういえば今日のNHKのニュースで、流山で下総流山小判っていうのが地域通貨として流通を始めるって言ってたけど、小栗の登場もいよいよか!? 


「逃げた」ふたり  【第39話『将軍、死す』の感想】演出:伊勢田雅也

非業の死を遂げた河合のエピソードの後の今回のお話。

これまでの隊士の死のエピソードのあとは、一旦リセットされて再スタートっていう流れがあったのですが、今回は残った隊士の胸中が表現されているという側面があり、面白かったです。

例えば、脱走した浅野を見逃すという、土方に出来ないことをやった斎藤。

例えば、浅野の脱走を手助けした挙げ句に嵌められた周平の助命を勝ち取った源三郎。

土方がそこにいなければ、それぞれの隊士がそれぞれの判断で人の命を救おうとするし、そうすることが出来る。

その一方、祝言を挙げた左之助を祝う宴に素直に招かれることに後ろめたさや気まずさを感じながら、結局は意地を張り切れずに近藤に伴われてやってくる土方。そして、そんな土方を近藤が帰宅した後も帰さず、肚(はら)を割った話をしようとする永倉。

これらの部分に注目すれば、自分達を縛り付けている「法度」と「土方采配」の呪縛を、土方自身も含めた隊士たち(労咳という運命に縛られた沖田以外)が振りほどこうともがいているように見えます。それだけに、三十郎と浅野の「分かりやす過ぎ」る描写が残念でした。

 

今回「逃げた」二人、谷長兄と浅野はともに責められて当然のキャラとして置かれていました。

変な声で笑い、家柄を笠に着て局長に取り入っていた谷三十郎。

池田屋事件の時には物陰に隠れて功を挙げていないのに報奨金を受け取っていた浅野。

でも、槍術師範を務めていた三十郎が介錯に失敗したのは、河合の死について視聴者が感じたのと同じような不憫さからの迷いがあったからかもしれず、新選組の中の不条理に自身も巻き込まれ始めたことへの危機感からの脱走だったともとれます。しかし、今回のお話では彼への同情が自然と湧くような演出はありませんでした。

浅野についてもそう。監察を務めていた彼が逃げたのは、自分でも言っている通り組の裏の事情に通じてしまう立場のために、河合事件の顛末やら何やらの不条理を嫌と言うほど知ってしまったためだったのでしょう。でも、今回のお話では、そんな彼の苦悩や恐怖、閉塞感にはほとんど触れず、周平の養子縁組解消のお膳立て役として「卑怯な男」が強調されたように思います。

その一方で、前回のお話で明らかに卑怯な振る舞いをして河合を死に追いやった男、観柳斎が一切登場しないというのは、話の展開からするとちょっと不自然な感じがします。

 

ところで、永倉と土方はあの後どんな話をしたのでしょうか。ワタシが永倉@新選組!だったら、ぜひ聞いてみたいことがいっぱい!

「土方さん。あんた、池田屋事件での報奨金を山南さんたち留守居役にも分配してたら、本当に隊士の士気は上がらなかったと思っているのか?」

「山南さんや河合の切腹、あそこで情けをかけてたら、本当に我ら新選組はバラバラになってしまったと思うのか?」

「法度で縛れば隊を抜ける者はいなくなるのか? 縛られるから抜けたくなる者が出るのではないか?」

土方と永倉、果たして和解したのか。それとも乱闘になったのか・・・?

斎藤が逃がした浅野が後に新選組に仇を為すということになって、やっぱり俺(土方)の情容赦ない采配が正しいじゃねぇか、っていう展開が待っていたりして・・・。(泣)

 

一見、アフリカの民芸品にも見える木像を手慰みで彫っている斎藤ですが、あの木像、ワタシは円空の一刀彫りのような意味合いがあるものと受け取っています。もしそうなら、甲子太郎らの御陵衛士分裂も、斎藤にとっては土方の元を去るのに渡りに舟と映るのかもしれませんね。(さすがにこれはナイ?)

 

いよいよ登場の最期の将軍・一橋慶喜公。

新選組!のなかでは利に聡い土方タイプと見た! 近藤タイプの容保公との関係に、新選組の局長と副長の関係を逆転させたような構図を持ってきた三谷さんの意図や如何に?

 

p.s. 佐々木様。

捨助を奉公人ですか~? 捨助は元天狗ってことがわかってるんでしょ。牢屋に放り込んで洗いざらい吐かせなくていいの?

(まさか鬼の副長、捨助のことは見廻組には内緒にしてあげてるとか?)

 

p.s. 近藤様。

同行した長州訊問使が不首尾に終わり、長州征討も失敗したのに焦りなしですか!?

それに、「お幸はそういうんじゃない」って言われても・・・。


お幸はおつねさんに手紙を遺していそう  

【第40話『平助の旅立ち』の感想】演出:清水一彦

 

「みんなまとめて切腹だ!」

ヨッ! 待ってました!! それが言えなきゃ鬼の副長の名が廃(すた)るってもんですよね。

新選組の分裂という重大局面を前に、土方はじめそれぞれのキャラが素直な自己表現を繰り広げた今回のお話。

座り芝居に終始したにもかかわらず、テンポがだれるどころか、いつにもましてノリの良い展開でした。

 

「いいか、お前らがしたことはな、」

「歳、もうそれ以上は良いだろう。」

「ただし事情はどうあれ、断りもなく見廻りを休んだことはつぐなってもらわないとな。」

「覚悟の上。」

「しばらくの間二人には謹慎してもらう。」

斎藤や永倉に対して厳罰で臨もうとする土方を制して、謹慎を申し付ける局長・近藤。

 

「あれほど言いくるめられるなって言ったのに、結局言いなりじゃねぇか。」

「俺はな、歳。伊東さんの話を聞きながら思ったんだ。それで無駄な血を流さずに済むのなら、言いくるめられても構わないと。そして伊東さんは、ものの見事に言いくるめてくれた。それで良いではないか。」

「勝手にやってくれ。」

血の闘争を嫌い、新選組の分裂を容認した近藤に対して、呆れて捨て台詞を吐く土方。

新選組を束ねる二人の性格の相違が明確になって、クライマックスへ向けて進む物語はどんな展開を見せるのでしょうか。

 

「何も言わない間柄が一番深いんだ。」

沖田はそう言うものの、周囲を自分の足掛かりとして見る伊東にとっての平助は、やっぱり平助が自覚している通りの存在だと思います。

自分への評価の低さから伊東の門下を離れ、自分を丸ごと受け止めてくれる近藤の元に加わった平助。

その彼が、伊東を新選組に勧誘し、伊東に従い新選組を離れるのはどうしてなんでしょうか。どうしても伊東に自分という存在を認めさせたかったから? でも、そんな青年には見えないしなぁ・・・。

単純に、もともと平助は試衛館に「貸し出された」形になっていたから、伊東が返せといえば逆らえない・・・ということだとしたら、あまりに平助が可哀想です。

 

ところで、「あいつだけは死なせたくないんだ。」という土方が漏らした言葉。

これまで土方が平助に特別の思いを寄せていることを表すエピソードは、あまり記憶に残っていません。他の隊士に対しては杓子定規に法度を当てはめようとする彼なのに、なぜ平助だけ? 

余命が限られている沖田の命を、平助の将来に繋げようとしているのかもしれませんが、もしそうだとしたら平助その人として大切にされているわけではないことになるし、ちょっとわかりづらいと思ったのはワタシだけでしょうか。

 

「畜生っ! 許せねぇ。なんで俺を誘わねぇんだよ。」

あれほどあからさまにヘッドハントしてもらいたがってるのに、誰にもチェック入れられない左之助。

何だか、最近の自分を見るようでとても親近感♪(笑)