2004年のひとりごと

かわいそうだったなぁ、曙(1.4)★

nobukoの実家で観ていた、暮れの紅白歌合戦。

何で今さらこの曲が? というのが多かった中で、SEED絡みの曲が一曲もなかったのは、つくづく残念でした★

今年の大トリはサブさゃんを押し退けて(?)のSMAPのあの歌でしたが、世間的には共感する人が多かったんでしょうネ、やっぱり。

でも、ワタシ的には最後までシックリこない詩でした。

だって、「いろんな花」っていっても花屋の店先に並んでる花でしょう。それって、市場で売れ残ったり、栽培農家から出荷すらされずに廃棄された花と比べれば「選ばれた花」ってこと☆ そこからスタートしてそこで終わってるこの歌の世界には、アスファルトを割ってでも、暗い森のなかでも、光を目指して上へ上へと伸びようとする若さが感じられないんです。

この歌に、イソップの酸っぱい葡萄の逸話に近いものを感じてしまうのはワタシだけでしょうか。

 

自分と違うものと一緒に新しいものを作って行こう、っていうメッセージの方がスッキリ共感できる今日この頃。

そういう意味でも、坂本九さんの映像とコラボレーションしてた平井堅さんの「見上げてごらん夜の星を」は素晴らしかったです☆

 

それにしても、曙さんはなんでボブ・サップさんとの試合を受けたんでしょうか? おかげで、危うく「ナマ倉木麻衣」を見損なうところだった★(笑)

とは言え、大方の予想通りにあっけなく終わってしまったあの一戦のあと、間を持たせるのに苦労したであろう(?)ボブがマイク・タイソンさんに向かって、スティービー・ワンダーさんのハモニカをバックに、

 

♪僕ら人間は

どうしてこうも比べたがる? 

一人一人違うのにその中で

一番になりたがる? 

 

そうさ 僕らは

世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ 

その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい 

 

小さい花や大きな花

一つとして同じものはないから 

NO.1にならなくてもいい

もともと特別なOnly one♪

 

って歌ったら、クロ高みたいでチャンネル戻さなかったかも・・・。(笑)


我が家の疑問三題(1.9)

【疑問その1】

最近ウチの長男がポツリ。

 

「鉄拳とパペットマペットって、中身はおんなじ人なんじゃないかなぁ・・・。」

 

どうでしょう?(笑)

 

 

【疑問その2】

晴れてサマーワへの派遣命令が下された自衛隊。マスコミは、隊員のみなさんに「今回の派遣についてどう思うか? 不安はないか?」って聞いて回ってますけど、なんであんなこと聞いてるんでしょうか? いかにも不安だって言って欲しそうな記者さん達。だったら、日々危険と隣り合わせの仕事についておられる警察や消防そのほかの方々やそのご家族を尋ね歩いたほうがよいのでは。

 

そもそも官に属する人に、自分たちに下された命令に対する個人的見解を表明することを許すことは、権力を私する道を開くことに等しいこと。それが、武器の使用を任せられている人々であればなおさら危険なのは自明なこと。

 

さてはマスコミの方々、実は平成の世に2.26事件を期待しているんじゃあ・・・。

 

 

【疑問その3】

先日餃子を作ろうとスーパーで買ったニラ。包んでいたビニール袋をふと見ると、そこには『味ニラのスコーン』とやらの作り方が書いてありました。そんなスコーンってあるんだなぁ・・・と目を通したレシピ(右の絵をクリック)・・・☆

やっぱりそんなスコーンはないんじゃあ・・・。(笑)


「ファイズ・最終話」と「ケルトとローマの息子」考(1.23)

ファイズのラストシーンは何度観ても心地いい~♪

主題歌も最終回ラストで流れたのを聴いて、ますます好きになりました。

ファイズのお話が悲劇であったことに変わりはないんですけれど、まるでサトクリフを読み終えた後のような、なんともいえない爽快感を覚えます。

 

で、急にまた読みたくなって、借りて来ました「ケルトとローマの息子」。

 

主人公・べリックは、赤ん坊の時、ブリタニアの岸辺に打ち上げられたローマ人夫婦の腕の中から、ケルト人の男によって助け出されます。

しかし、15歳の成人の時、その素性ゆえに村を追われます。

愛する父と母、9歳の時に大げんかをして以来の槍兄弟カスラン、盲目の竪琴弾きリアダ、そして愛犬のゲラートを後に残して。

その後、人にだまされ奴隷の身となってしまった主人公は、ローマに売られますが、その大きなお屋敷には親切なお嬢さんがいました。ルキルラお嬢さんの元にいられるのなら、このまま奴隷の身分でも構わないと一度は思ったべリックでしたが、底意地の悪い男グラウクスの罠にはまり、岩塩抗に売られそうになるところで逃亡します。

運の悪いことは続き、盗賊団に間違えられた主人公は、裁判にかけられガレー船の奴隷となりはてます。

ガレー船での2年間、主人公が大半の奴隷たちのように瞳の奥がうつろにならずに済んだのは、ただグラウクスへの憎しみと、彼の隣で共に櫂(かい)を漕ぐ青年イアソンへのやさしさのためでした。

イアソンはギリシャ人で、ローマに出てフレスコ画の絵描きを志しますが、フレスコ画は人気がなく、やがて自堕落に暮らすようになり、賭け事でだまされて、とうとう借金のかたに奴隷として売られたのでした。

飛ぶ鳥の、命に満ちた速さを描くことをなによりの喜びとしたイアソン。

その彼がガレー船上で非業の死を遂げ、反抗したベリックは半殺しにされて、海へ放り出されます。

 

しかし彼は、またしても溺れることなく、ブリタニアの岸辺にたどり着き、そこで防波堤を築く任に就く百人隊長・ユスティニウスと再会します。

彼は、ルキルラの屋敷で一度出会って以来、ベリックを赤ん坊の時生き別れた息子と見間違え、いつか自分の元へ帰ってくると信じていました。

そんな彼にベリックはいいます。

 

「あなたのためには、赤ん坊が死んでいてよかった。生きていてもローマ帝国のガレー船でけだもののように生きているうちに、オレは人間がどうやって生きるのかわすれてしまった。」【中略】ベリックの声には、何年ものあいだに積もった暗黒の苦しみがこめられていた。「人間はオレには、一度もチャンスをくれなかった。」

 

ファイズのお話でいえば、オルフェノクになって当然の、過酷な運命を背負い込んだ主人公ベリック。

ファイズのラスト、巧に訴えかけていた木場の、あのシーンと重なります。

 

ただ、ファイズのお話との違いがあるとすれば、人間の側の光がきちんと描かれていることでしょうか。

心を閉ざすベリックを、自由の身に戻すためにユスティニウスが開いた裁判で、うその証言をしてくれるルキルラ。

盲目の竪琴弾きリアダは、ベリックを差別し放逐してしまうような村にはいられないと、キランという名の少年と犬のゲラートと共に村を立ち去り、やがてベリックとの再会を果たします。

 

一方、コルネリウスという軍団長が防波堤の視察にくるとの報が届きます。

彼は、かつてガレー船で奴隷であるにも関わらず激しく反抗した、ベリックを見知っていた男でした。

大きな不安と共に、百年に一度という程の大嵐が村に到来します。

必死で堤防を守るベリックとユスティニウスの隊。

ベリックは巨大な波にさらわれますが、三たび命をとりとめます。まるで溺れないことが彼の運命であるかのように・・・。

 

そして、コルネリウスが自分を見てもあの時の奴隷であることがわからなかった時に、主人公の心は真に自由な世界に解き放たれます。

この行(くだり)はこのように書かれています。

 

過去の不幸な出来事や苦い裏切りが、まるで邪悪な霧のように立ちのぼって、自分と世界とをへだてていた。それが今、解放された。手首についた”かせ”の傷跡から、自由になった。

「おい、いい夢なのか?」砂色の髪の男が、怒ったように聞いた。気がつくと、ベリックは立ちつくしたまま、手のなかの石を生まれて初めて目にするもののように、じっと見つめていたのだ。石は暖かな茶色で、雨に濡れて模様が浮き出ていた。タゲリの卵のような斑点があって、とてもきれいだ。

「ああ、いい夢だった。」 ベリックは言い、その石をほかの石の上に放り投げた。

 

ファイズのラストシーンが心地よく感じられるのは、サトクリフが描く若者の姿と大きく重なるところがあるからかもしれません。


コミュニケーションを蔑ろにした成果はアヤシイ(1.30)

キラとクルーゼの年の差は、9歳だったんですか(ガンダムA3月号より)。

思ってた以上に長い! (笑)

その間コロ二ー・メンデルではず~っとアブナイ研究が続けられてて、でもキラ君の実のお母さんはパートナーである夫の野望に気づかず・・・? 

 

長いと言えばディアナ・ソレルの冬眠時間ですが(笑)、今月からスタートした「月の風 ターンA外伝」は、なんとなくケストナーの挿絵風なニュアンスに惹かれ読んでみました。

ディアナ・ソレルの地球帰還作戦のために母親を失しなった柔術のセンセイが、月の「テロリスト」の仲間入りってところは、帰還作戦の功罪をうまく説明しているなあとナットク。でも、ロランたちが、テロリストの破壊活動に対してそれほどの恐怖を感じていない様子にはちょっと違和感がありました。

そもそもテロリズムというのは、暴力により人々の心を恐怖で畏縮させ、思考と行動の自由を抑圧し、自分達の政治的な目標に異を唱えさせなくするという政治手法。

月に作られた人工的な居住空間に住んでいる人々にとって、破壊活動、特に爆発のような大量に酸素を消費する破壊活動に対してはもっと敏感になるんじゃないでしょうか。なのに、「テロ」を話題にするロランも月の人たちも、脅威に緊張しながら暮らしてる風でもないのはなんでだろう?

 

さて、今回の「富野さん、こんにちわ」、ゲストは東大のセンセイでした。

『海のトリトン』を小学生の時(!)観ていたとあったので、つい親近感がわき読み進めたものの、現実認識に納得いかないところが多々ありました。

政府が今さら北朝鮮問題を声高に言うのは、中東の危機から目をそらさせるためだっておっしゃってますけど、拉致被害者のご家族からすれば、政府はイラクのことばかりで北朝鮮問題をないがしろにしてる、ってことになるでしょうに・・・。

それから、もはや武力行使は国家安全論としてありえないのにアメリカはなんでミサイルのネットの話をするんでしょう、っていう御大のご発言。 武力行使はありえない、って言い切っていいんでしょうか。御前(おんまえ)のセンセイは、韓国では北からの攻撃があったら地下鉄に逃げる、って仰ってますよ~?

お二人の、現有事法制案への代替案も見えて来ないし、ウ~ン★絡みづらい。(笑)

 

こうして毎月「ガンダムA」を読むのも「オリジン」あればこそ。(あとトニーさんのパロディーもあるけど♪)

そうしてパラパラとめくってみて感じるのは、「オリジン」とそれ以外のページには、物語世界の中でのコミュニケーション量において圧倒的な差があるなあってこと。(トニーさんのはOK♪)

それってヤッパリ、日頃のコミュニケーション不足が反映してるからなんでしょうか。

 

そう言えば福田監督、確か「SEED」では日本社会のコミュニケーションの薄さをリアルに描いた、っておっしゃってましたが、現実はもっとヒラヒラで、ヒビキ教授のアノ研究にさえ簡単にGOサインが出ちゃうのかもしれません~★(泣) 

なにしろ、タレント・向井亜紀さんが「代理母」を認めているネバダ州でご子息たちを「誕生」させた例の件でも、それに対する世の反応は意外なほど賛成派が多かった★

「当人たちの都合でいいんじゃないの」「契約がしっかりしていればOK」と寛大なご意見ばっかりで、一方の反対派も「お腹を貸すお母さんにもしものことがあったら残されたご家族はどうなるのか心配」「ビジネスになるのが心配」と、大人側への配慮止まり。

皆さ~ん、赤ちゃんはおなかの中でお母さんとコミュニケーションしてるんですヨ~!


♪今 未来の 扉を あケルトぉき~♪(「ビリーブ」より)(2.7)

扉、といえば「超光戦士シャンゼリオン」の主題歌!

♪目の前の 扉の向こうに 夢の青空 きっと続いてる~♪

と作詞された故大津あきらさんは、エーゲ海(特にシチリアあたり?)の風景を愛していたと、もうずいぶん前に「徹子の部屋」で奥様が懐かしそうに話されていましたっけ。

 

エーゲ海といえば、ギリシャ神話。

ホメロスが詩ったトロイの馬は、19世紀にシュリーマンによって史実であることが証され、ミケーネ文明、それからクレタ(ミノア)文明の発見へと続きました。

クレタは紀元前1500~2500年に栄えた文明だそうですが、日本の菊花紋を大雑把にしたような文様や、浜水仙(ユリ?)の花や楽しそうに泳ぐイルカの群れのフレスコ画をTVで見ていたら、なぜかケルト美術の自由な空気を感じました。

クレタ(crete)とケルト(celt)、字面も似てるし何かある?

 

ちなみにcretaはラテン語で黒板に字を書く時に使うチョーク(白亜)とか、クレイ(粘土)のことをいうらしいんです。

で、思い出すのはローズマリー・サトクリフの「ケルトの白馬」。主人公・ルブリンは、緑の芝地の下に埋もれる白亜層を掘り出して、馬の造形を創っていました。

ケルトの話やブリテンの神話に留まらず、ギリシャ神話の再話までしていたサトクリフはもしかすると、クレタからケルトへ、そして現代へと繋がる何かを表現していたのかも・・・?!

 

ついでに前から気になっていたことをもう一つ。

サトクリフの初期作品群は、ローマン・ブリテン3部作と呼ばれているそうですが、それらの主人公の名はアクイラ。

「シャンゼリオン」の主人公・アキラと似てる~♪

そうだっ! サトクリフはその後で「ケルトの白馬」「闇の女王に捧げる歌」などの傑作を世に送り出していることだし、白倉P&井上コンビの本領発揮はまだまだこれから♪ っていう期待を込めて、「シャンゼリオン」「アギト」そして「ファイズ」を白倉・井上3部作と呼ばせて頂きま~す♪


ファイズへの返歌(3.9)

果てない時間の中 Can you feel?

小さな夢の話をしよう

 

Whitest cloth 翻る丘の上

僕らは歩いている

 

ありのまま あることが

光となるその時まで

 

今1人1人の胸の中

口ずさむ The song you love

喜びの歌を

まだ曇らないその瞳なら

Dilemmaも越えられる・・・見失わないで

The end justifies the mean

 

 

また悪い癖が出たようです。(笑)

どうやらワタシ気になっていた番組が終わると、その主題歌のメロディーでオリジナル詩を書きたくなるらしい★

と言ってもこれで2回目のことなので、定かではないクセなんですが、1度目は「リヴァイアス」の有坂美香さんの英語詩に心動かされ、公式BBSに書き込んじゃった2000年3月。

今回4年ぶりに、書きた~いという衝動にかられました♪

 

そもそも詩、というか曲のある詞に興味が湧いたのは「シャンゼリオン」がきっかけ。(←いい加減くどいですがシカタナイ)

それまで味わったことのない、大津あきら氏独特の詩世界に痺(しび)れ憧れて、氏の過去作品を探し歩いたりしたんですが、「風のエオリア」にシャンゼの原風景を見た!と思ってるのは日本広しといえどワタシだけなんだろうなー。

メロディーと調和していて、かつ詩自体でも完成している・・・あんな素敵な詩にもう一度巡り会いたい!

 

 

そういえば今日の「てるてる家族」では、いしだあゆみさん演じる酒場の歌手ミサコと、夏子(上原多香子)が会話するこんなシーンがありました。

 

「感動してしもうたんです。お客さんに聴いてもらうんやなくて、聴かせてしまうことができるんだ、この人、って。」

 

「売れたものが勝ちなのよ、売れたもんがえらいの、この世界は。」

 

「そう言う風には思いません。ミサコさんの歌は、ミサコさんにしか歌えないと思いました。あなたのようになりたいと、そう思いました。」

 

このミサコと夏子の会話は、いしだあゆみのモノローグでもあり、そしていしだあゆみと上原多香子という2人の歌手の素の会話でもあるようでした。そのせいか、こういうシーンにありがちな、嘘くささとか表層的なお涙頂戴っていう感じじゃない掛け合いになっていて、とても新鮮でした。

大舞台を目指し、そこに立つことの出来る歌い手には、きっとこんな経験を糧にした人がいるのだろうな、己のためだけでない、大勢の思いがそこにあるんだろうな、なんて素直に観ている自分にもうれしくなりました♪

 

ああ♪ 最近「新選組!」にしろ「てるてる家族」にしろ、真実を切り出してみせる達人の作品にTVで出会える機会が増えて幸せです♪


PTA WORKS Eps.3 / 見えざるフォース(3.16)

物事って、方向性を定めて一度突つくと、後は放っておいても進むもんなんですね♪

えっ? 何ゴチャゴチャ言ってるのって? 

エヘヘ♪ なにを隠そう、昨年(度)ワタシがPTA理事会に提案した(のに全く通らなかった)改革案が、ド~ンと動いちゃったようなんです★知らぬ間に。

 

それはついこの間の3月3日、ワタシは微熱が出始めていたにもかかわらず息子たちの出る「六年生を送る会」を観に、学校へ出かけました。

案の定後で高熱になって寝込んだんですが(笑)、その時は観たい一心で赤い顔(たぶん)をしながら体育館へと向かう途中、今年度役員のお母さんたちといつものように遭遇しました。(←学校にいく度になぜか出くわしちゃうんです。なんでだろ?)

で、いつもだったら向こうから笑顔で話しかけてくるんですが、今日はワタシにもあまり構わずに(笑)、真剣な表情で駆けて行っちゃった後ろ姿に、なんとなくいつもと違う緊張感があって気になったものの、その時は自分のことで精一杯。

子供たちの出し物の後、先生方の「世界にひとつだけの花」の大合唱&パフォーマンスが無事終わったところで、本格的に具合が悪くなったワタシは、PTAの緊急集会とやらの案内にもかかわらず、一足先に家に戻ってきました。

そうしたら夕方、今年度の環境委員長さんから久しぶりの電話が・・・。

「今日の集会には出られてなかったんですか? 実は昨日、急に役員が集められて~、PTAの作業内容の見直しがあったんですヨ~♪ 環境の仕事、来年度から減ることで決まりみたいです♪」

昨日の今日って、そんな急に決まったの~?! とビックリするやら飽きれるやらで、熱のことも忘れて長電話してしまいました。(笑)

 

どうやら今年度の本部会の皆さん、年が明けてから急に、他の小学校へPTAの視察にいかれたそうな。

で、やっぱり作業内容の見直し(つまり、環境の仕事の一部を、他の委員会へ移譲する)の必要性ありとの見解に至ったらしい。ウ~ン★

「●●台小学校では、こんな感じでやってるみたいですよ。」と隣の小学校の例を挙げて改善案を提案したワタシに、「な~に言ってるの! 他の学校は関係ないでしょ。ウチの学校にはウチの学校のやり方ってもんがあるんですっ!!」って吠えたおかあさん方、今頃どうされてるのかしら? 

って、理事会にまだデーンといらっしゃるんですけどね。(苦笑)

 

3年はかかると思ってたのに、まさかこんなに早く動くとは!(笑)

環境委員長さんによれば、今年度の始めに「委員会レベルの引き継ぎに本部会の役員が関わるのは前例がない」といやがる新任の副会長さんを、ワタシがむりやりひっぱりこんで、仕事の多さを見せつけたのが功を奏した、ってことらしいんでが・・・。

離れてしまえば他人事と、言いながらもその実それぞれの委員会の仕事量が均衡することを願っていたワタシは、太陽系を人知れず楕円周回している第10惑星・セドナの心境に達しております・・・☆(どんな心境?!)


魁! 苦労まてぃ孝行?(3.18)

まだ介護保険制度が始まる前、痴呆が進んだ義母を介護した時のことです。

徘徊癖の出始めた義母をワタシ一人で一日中看るのは無理と、町内に住む義姉に応援(昼間の1~2時間、ワタシが買い物に出ている間、姉の家に預けること)を頼んだら見事に断られ、元気だった頃の義母がよく義姉の手伝いに来ていたことを知っているワタシは、ご主人の両親(同居してる訳じゃないんですけど)への気がねがあったにせよ、こういう非常時にそんなこと言うなんておかしい!!とほとんど人間不信になりかけました。

 

結局、nobukoの夫が福祉サービスの利用手続きに走り回り、お世話になることになった民間業者の女性(ワタシと同じ年齢の方でした)が状況をよく理解して下さり、デイサービスの利用ができるように取りはからって下さったので急場はしのげましたが、それからも、周囲の人たちの無理解にはまいることが多かったです。

朝の9時に迎えのバスが来て(乗るのをいやがるんですよね。その気持ちがわかるのでつらい)、4時には戻ってくる義母(施設から戻ると少し混乱するらしく、夜寝るまでなんどでも外に出て行こうとする。人に迷惑をかけるのが嫌いな性分の義母は、自分の母親が待ってるから♪と言っては、家、たぶん仙台にあった昔の家、に戻ろうとするので、何べんかに1回はそこらへんを一緒に散歩して気分を落ち着かせる)と、学校に通う子供たちの世話でヘトヘトのワタシに、近所の同世代の女性たち(外で働いてる)は、「施設に預けるとかして、工夫すればいいのに~」と、イマドキな助言ばかり★

「もう~、出来るもんならそうしてるヨ~」と、配慮が足りないのに意見はしてくる人たちに腹が立って仕方なかったワタシは、耐性が低いのかもしれません。

今日のワイドショーで湯原昌幸さんの奥様、荒木由美子さん(まだ44才)の20年にわたる介護体験を拝見して、ワタシよりもずっと大変な境遇を乗り越えて、恨みがましいことは何も言わない女性(ひと)はやっぱりいるんだと改めて思いました。

 

ようやく最近、周りの状況も変化してきて、実の親御さんの痴呆が始まった方がワタシに理解を示してくれたり、義姉が手伝ってくれたりするようになり、わかってもらえない寂しさは前ほど感じなくなった今日この頃。

でも、買っちゃったあややの「風信子(ヒヤシンス)」を聴いては、「♪あり~がとう~あなたがくれた~すべてにありがとう~」というフレーズに、やっぱり相手によるよなぁ~と思うワタシはまだまだ未熟者です★


いずれにせよ、少し安堵(4.11)

テロリズムとは、暴力により人々の心を恐怖で畏縮させ、思考と行動の自由を抑圧し、自分達の要求を通そうとする政治手法を指すことは、前にも触れました。(1月30日「ひとりごと」参照)

日本は、フセイン政権下においてまさに人質同然に弾圧され続けたシーア派やクルド人を含むイラクの人々を、フセインの手から解放したアメリカを支持し、フセイン政権の圧政から解き放たれ復興の道を歩み始めたサマーワの人々を支援するため、自衛隊を彼の地に送り出したわけですが、今回不幸にも一部の武装勢力により人質とされた三人の方々も、その目的がどのようなものであれ、イラクの人々のために生命の危険のある地域に敢えて飛び込んでいったわけですから、イラクの人々を今だ混乱に陥れ続けているテロ組織に自分達が利用されることは本望ではないと信じたいです。

 

それにしても奇妙というか理解に苦しむのは、一部マスメディアの論調です。

イラク自衛隊派遣の際には、「軍ではなく民間を行かせるべき」とする立場の人々を支持し、世論を煽(あお)ったマスメディア。

ならば今回の3人の日本人の行動を支持こそすれ、批判などできる立場にないはずなのに、人質となった彼らのことを「軽卒な行動であり許されることではない」と表現しているのはなぜでしょう。

自分達の言動が、純粋な若者(30代も含んでしまいますが)に与えてしまう影響について、マスメディアはまだ気がつかないのでしょうか。

 

こう書いている最中、人質となった三人の方々が解放される見通しとなったとのニュースが流れてきました。

人質のご家族の言動の数々に、正直なところ「親(家族)の顔を見ちゃったよぉ~★」と感じてしまっていたワタシですが、無事に解放された暁には「私たちの力で自衛隊を撤退させられなかったのが残念だ。」などというセリフだけは絶対に聞きたくないなぁ★


Bush(i)よりBush(i)らしく(5.7)

昨日のNHKの午後の番組では、東京江戸博物館で開催中の新選組展が繰り返し紹介されていました。

どれも初めて見るものばかりで面白そうでしたが、なにより嬉しかったのは近藤の鉄扇。

「勢欲飛」と毛筆書きされていて、なんだか「武士よりも武士らしく」あらんとする近藤@三谷さんと自然に重なって、「らしいな~♪」って思ったり。あまり近藤勇のこと知らないクセに★(笑)

 

一方で腑に落ちないのはアメリカ軍によるイラク人捕虜虐待に関する報。

ブッシュ大統領は、捕虜虐待の行為について「does not represent the America that I know.」と声明されたようですが、ニュース・テロップは「虐待行為はアメリカを代表するものではない」と直訳調で気になりました。

そんな訳より「虐待行為はアメリカの精神(を表現するもの)ではない」という訳の方が、いらぬ誤解を生まないのではないかな~と。

一つ一つの小さな表現から慎重に臨んでいかないと、「捕虜虐待をしていたなんて、アメリカの民主主義も大したこと無いんじゃない?ローマ帝国の『異民族への寛容』を学ぶべきだね。」なんていう的はずれなご意見で世論が形成されて、もう歯止めがかけられなくなっちゃいます★

アメリカにあるのは「完全な民主主義」なんかじゃなくて、「人としてかくありたい」というWISH(意欲)であることに、ワタシのような平凡な人間が気づけたのはなんでだろう・・・。

いま思えば、向こうにいた時に受けた社会科の授業で、先生が特攻隊のビデオを見せる前に皆の前で「nobukoの国にはnobukoの国の考え方があるのだから、それを大切にしなさい。」と語ってくださったあの出来事がすべての始まりだったのかもしれません。

 

どうありたいと欲するか、という若い時の純な思いを失わずに齢を重ねられた時、人も国も老いることはない。

その真実を、アルツハイマーで寝たきりになってもなお笑顔を向けてくれる義母に、改めて教わる今日この頃です。


裏の田んぼで寛永通宝拾いました。なあぜ!?(5.9)

「二度とあいつにこんな思いはさせねぇ。憎まれ役は俺が引受ける、これからは全て。」

この土方のセリフで三谷さんは世間の土方ファンを敵に回したな♪ そうワタシは思いました。

あのセリフはつまり、「近藤を傀儡化して自らが主導権を握るぞ」という宣言以外の何ものでもないですから。

 

京に居るのは「上様がお帰りになるまで」という近藤の意志をあからさまに否定し、殿内事件への対処について近藤の素直な思いを封じ込め、浪士組という手段を我が意のままに扱おうとする土方。その上で、皆の前では近藤のことを慮(おもんぱ)かっているかのような言動をする。

これまでも土方は、敢えて汚れ役を引受けるというよりは、自分が好んで取る立ち位置は世間的に見るとダーティーなものだってことを自覚していて、ある意味で開き直っているタイプと描かれているように見受けられましたが、それを言葉で明示することは無かったと思います。だから、土方好きの方にとっては「このお話のなかでは目先の効くやんちゃ小僧っていう役どころなんだな♪」って受け止められてたんじゃないでしょうか。でも、今回あのセリフでそうは言ってられなくなっちゃったはず。(単純に「さすが歳サマ、かっこいい自己犠牲♪」と思える方は別として・・・。)

 

人を信じることが出来ない清河を見限り近藤の誠実さに従うことを選んだ山南、京の地で路頭に迷わせてしまった門下の皆の身を案ずる近藤に、自分自身がどうしたいかだけ考えろと言った永倉、難しいことはよくわかんないけど困っているお久ばあさんを見たら背負わずには居られない左之助。

そんな彼らがあのセリフを聞いた時に示した表情が、今後の土方の本当の立場と隊士達の身の処し方を予感させるものとなっていると思います。腕組みしたまま斜めの視線を土方に向ける山南、正面を見据えた永倉、居心地の悪そうな左之助・・・。

まるで、自らが演出した舞台で「俺は主役の柄じゃないからヒール役で我慢するよ」って言いながら、『本当の美味しいところ』をさらっていく根っからのヤな奴。三谷さんは土方をそう位置づけていると感じたのはワタシだけ?

 

もっとも、これからの新選組は内憂外患が一気に増えていくなかで、外患との対峙が生む緊張感や勢いで近藤の胸中でさえ内憂が過小評価されていく、あるいは大義のための必要悪としてなんとか合理化されようとする、そんな流れがありそうな気がします。そして、それが本当の誠か、真の武士なのか、との葛藤が近藤を成長させ、土方との離別につながっていく・・・。そんな展開を見せてくれることを期待している今日この頃です。

 

 

米軍による捕虜虐待、いつの時代もどの国でも同じようなことはありました。そしてそれを「人間なんてそんなもんさ」とか、「大義のためにはしかたないよね」とか、「敵さんだって俺たちを捕まえたら同じことするんだから」とか、本当は良心の呵責を感じながらも自分と世界をごまかす、ということもごく普通のことでした。さらには、フセイン政権や金王朝、政・経ダブルスタンダードの某隣国etc.のように「正義は我にあり、何を憚ることがある!」と自国民に対してさえ公然と、しかし外の世界に対しては秘密裏に「正当な行政措置」として行なうところすら未だに存在する世の中で、自らの行動に伴う負の側面を正面から捉え、それを克服しようとする人々の姿を見たとき、果たして自分(や自分の国)だったらあのように振舞えるだろうか・・・と考えてしまいます。

 

アメリカという社会は「国」という言葉で括れるほど単純な構造ではないと感じます。その時代々々によって、モンロー主義のような孤立主義が全面に出たり、パックスアメリカーナのような地域主義やグローバリズムが展開されたり、ニューディーラーのような社会主義的志向を持つものがイニシアチブを取ったり、レーガノミクスのように自由な個人の主体性に期待を抱く考え方が主流となったり・・・。

それは、時代の要請によってそのつど生み出された考え方というよりは、もともとアメリカ社会のなかに複数の人間観、世界観が概念化された上で共存し、時代の要求に応じて選択、応用されているのではないでしょうか。

多様性こそが未来を開く可能性である、そう信じるならば、異なるもの同士を繋ぐためのシンプルなルールを求めるはずです。それが、約束は守る、正直であるといったことであり、そうであるが故に不誠実さは社会的に排除されてしかるべき、との倫理観が成り立っているのでしょう。もちろん、「そうありたい、そうあるべき」という倫理観は「そうなっていない」現実の裏返しですし、「そうならない」要因を取り除くことは実は未来永劫出来はしない、というのも人間の業(nobukoの夫によると、遺伝子的にそう仕組まれているらしい)だと思います。でも、そんな世の中に向き合う時に「だったら頑張ったって意味ないじゃん」と思うか、「昨日より今日、今日より明日は少しずつでも前に進める」と思うか、その違いは大きいはずです。

 

今回のトピックスに際しても、「どうせそれもポーズだろ」「ホントはもっと凄いことやってるの隠してんじゃないの」っていう、後ろ向きとは言わないまでも、前に進もうとする者の裾を踏むような態度は取りたくないワタシです。

nobukoの夫によると、後ろ向きなパーソナリティからの抵抗があるからこそ、前に進もうとするパーソナリティの持ち主はさらにその力を成長・進化させることが出来る、だから後ろ向きな人も全体の進化のなかでは必要なものとして淘汰されることは無い・・・らしい。そう聞かされると、「抜けさせてもらう!」と席を立った粕谷さんに共感するところ大のワタシとしては、正直ちょっと気が重くなるのですが★


本当のゴミ拾い(6.13)

陸自イラク復興支援の任務を完了して、無事帰国された番匠群長のインタビューを某新聞(6月8日付)で読んでビックリ♪

 

「規律違反や現地で非難されることも一度もなかった。特に各国軍人は、われわれの宿営地を訪問する度に『信じられない整然ぶりだ』と連発していた。テントや車両を一列に並べる際、誤差範囲二・五~三センチを徹底させた。砂嵐で、他国軍の宿営地ではゴミが宙に舞う光景を度々見かけたが、部下たちは命じられるまでもなく、気が付くとゴミを拾っていた。」

 

昨年(11月14日)の「ひとりごと」で、SEEDへのレビューとして「戦争って命を賭けたゴミ拾いだと思うんです。」と書いたワタシですが、日本の軍隊は本当にゴミ拾いのプロだったとは♪

冗談ではなく、医療、給水等の支援業務を一日も中断することなく遂行する傍ら、イラクの子供たちのために小学校を回ってバンド演奏と歌のプレゼントをしたり、5月5日のこどもの日にはユーフラテス川に200匹以上の鯉のぼりを泳がせて、イラクの子供たちの明るい未来を現地の人たちとともに祈り、サマーワの人々の信頼を勝ち得た自衛隊。ウ~ン、天晴っ!!!

自衛隊って、相手を刺激しない「気」を発することのできる希有な、「合気」の軍隊なのかも???

 

でもなんでこういうニュースを、マスコミはもっともっと流さないんでせう・・・・???

長崎の小6女子児童殺人事件と、雅子妃を庇う皇太子殿下の発言を伝えるニュースばかりが目立つ今日この頃。

まるで、自意識の屈折の理由を周囲に求めて傷つけあうことが、この国の日常であるかのよう。

これでは、日本の子供たちの未来が曇ってしまいそうでとても心配です★


現実主義者・安彦良和 V.S. ロマン主義者・松本健一の対談 和やかに進んでるのが何とも日本的♪(7.13)

「教えて下さい。富野です」今回のお話は麻についてでした。

「僕より下の世代はアメリカに押し付けられた大麻取締法によって、麻=麻薬という認識しかないということを知って愕然としました。」って、ホントですか? 初耳です。(笑)

麻と言えば、とうぜん夏服の素材でしょう!

ワタシの場合、L.L.BeanとかEddie Bauerとか体型的に合う為愛用しているアメリカのメーカーの品は、綿100パーセントが多いとはいえ、麻素材も結構扱っているので着ています♪

そういえば、ワタシと同じ病を持つアメリカの人たちが作っている「友の会」が発行した生活のてびき本(の翻訳版)に、アルファ・リノレン酸を含んでいる「亜麻仁油」が腎嚢胞を押さえるのに良いらしいって書いてあって、亜麻仁油ってなんだろう~?とずっと思ってたんですが、麻の油のことだったとは! ガンダムエースのお陰で合点がいきました。

前に「ひとりごと」で取り上げた「しそ油」も、そもそもは「亜麻仁油」の代替品でした。

日本ではちょっと手にいれにくい亜麻仁(油)ですが、最近は、パスコから出ている「ローマンミール」という食パンの材料として入っていたり、亜麻仁入りと書かれたコッペパンなどが出まわっていたりと、かなり一般的な食材になってきたようです。

そういえば、もし女の子を授かったら「麻(あさ)」って名前にしよう♪って言ってたnobukoの夫。

男の子の名前は、生まれてから考えたくせに~☆(笑)

そうそう、次男坊のお宮参りは、この辺りの古社である麻賀多(マカタ)神社に行きましたよ。

 

それにしても、富野さんも安彦さんも、実はアメリカのことが大好きなんじゃないのかなあ。文句言ってるわりにはどこの国のことよりも色んなことご存じのようだし、その論調からはやっさんに安心してつっこみ入れてるきよし師匠みたいな雰囲気すら感じられます。でも、きよし師匠は本人がいないところでは、やっさんの悪口は言わなかったよなぁ~★

 

で、そんな安彦さんにワタシからのつっこみ。

フセインのイラクが、クウェートを侵攻して勃発した1991年の湾岸戦争では、イラク国内でもフセインを倒すためにシーア派やクルド人が立ち上がったのに、アメリカはなんでその時にフセインを倒しておかなかったんだ、なぜ今さらやるんだって、安彦さんはおっしゃってましたが、そもそも国連安保理事国のロシアや中国が派兵に反対した為に、国連軍を送り込めないアメリカが苦肉の作で組織した多国籍軍です。そんな軍隊が、クウェート撤退を明らかにしたフセインを許さずに倒すまで戦争を続けられたなんて、本気で思ってらっしゃるのでしょうか。

 

ついでに、対談相手の松本さんにもつっこみ。

小泉首相や岡崎久彦氏のことを「現実主義」って評する松本氏は、ご自身のことを「ロマン主義者」って言ってますが、自分にとって「くだらないことや不正義なことを全部粛清してもいいなら(政治を)やります」って、そんなやり方をまさか「美しい」と思われているとしたら、コワイお人です★(笑)

現実とは、客観的な事実ではなく、同じ現象でも見る人が違えば異なって受けとめられ、全然違うアクションがぶつかり合うまさにその状態のことを指す言葉です。だから、岡崎氏が「アングロサクソンに同調すべし」というのは、現実をコントロールする術に長けているその歴史的スキルに注目しているわけです。自分にとって「くだらないことや不正義なこと」が、他人にとっては大切なことや正義だったりする、そんな世界のなかで最大公約数的な均衡をかたちつくる営みは、「後から解説するだけの評論家」にはできないんだろうなぁ☆(笑)


動物にもお盆はあるの?(8.15)

昨日の朝、メルの友だちだったゴロー(と我が家が勝手に呼んでる)がウチの庭に姿を見せました。

すらりとした品のいいゴローは、普段は家のなかで飼われているらしく、近所を出歩いているところを見かけることも余りありません。

どちらのお宅で飼われているのかもわからないのですが、メルが生きている時には良く遊びに来ては玄関先のメルの餌をつまみ食いしていました。メルが死んだ後に一度来て、メルがいないのを不思議そうに帰って行ったきりだったので、「あら、久しぶり」と皆で喜んだ我が家。

メルが逝ったのは、ちょうど去年の今日でした。

 

昨日までの猛暑はうそのように、涼しい雨の終戦記念日。

お隣の奥様が、ご主人の初盆の志を届けて下さいました。

そういうことにはとんと疎い我が家は、お供え物を買い求めるために慌てて隣街の大型ショッピングセンターへ。

林の中を伸びる道を車で走っていると、センターライン付近に二匹の小ダヌキの亡骸が。

母ダヌキの後を追って、あるいは親離れして初めて、車の行き交う道路を渡ろうとして渡りきれなかった、そんな様子で横たわっていました。

見通しの良い場所なので、運転している人が飛ばさずに、しっかり前を見て走っていればこんなことにはならないはずなのに・・・。


ネタは挙がってるんだよ♪(8.22)

昨日の夜、オリンピック中継を見ていた流れで初めて見たのが最終回、「冬のソナタ」。

何で主人公はみんなからあんなに丁寧な扱いを受けてるんでしょう?

最終回にもなって、恋人からまだ「さん」づけ。友達も、年配の知り合いも、みんな「さん」づけ。

そんな高貴な役の雰囲気を引きづって、俳優さんも「様」づけなのかなぁ。

このドラマの脚本家の二人は「キャンディ・キャンディ」が好きらしいって、どこかで読んだんですけど、主人公のパッと見は、くらもちふさこの話に出てくるキャラを思い起こさせます。

で、彼の恋人は建築デザイナーらしいですけど、まさかこの物語の大オチってこんなんじゃあ・・・。

様々な運命のいたずらを乗り越え、二人でカラオケ屋を営もうと、彼女が設計したリゾート地のカラオケボックス。

オープンを間近に控え、全財産を投じて発注した最新鋭のカラオケマシンをいよいよ搬入しようとしたその時、玄関の寸法ミスで入らないっ!!

そんな事態に主人公のチューさんが一言、「なんだバカやろう!」。

大人しそうなタイプの彼も最期の最期でキレて毒づいちゃう、っていうお話だったらはじめから今までちゃんと見たのに。

えっ? 注さんじゃなくってチュンサンなの!?

 

そういえば、夏休みで夜更かししていた次男坊がオープニングを見ながら鼻唄でジュッテ~ム ジュテ~ム♪ って歌い出したので気がついたんですが、あの主題歌のサビのところ、Tommy februaryの「 je t'aime ★ je t'aime 」のサビと似てますね。時代はフレンチポップスモドキってことなんでしょうね。

 

歌といえば、最近TVでよく流れているバイエル薬品のCM。そう、草刈正雄が黄昏の空高く空中ブランコを漕いでるやつ。

あのCMソングって、青い三角定規っぽいですけど、まさか本人たちじゃないですよね。草刈正雄も、きっと最初は中村雅俊で行きたかったと踏んでいます。

ところで、あの「ラララ バイエル♪ 話してみようよ♪」のメロディラインは、オペラ座の怪人の「The Phantom of the Opera」と同じで、オペラ座の怪人は桜田淳子の「三色すみれ」と同じですよね。

それにしてもほっといていいのかなぁ。

「ラララ、バイエル ○○のこと~♪」 次男坊が鼻唄で歌ってます。(笑)

 

話変わって、中国が自国外務省のHPで朝鮮半島北半分の歴史を改竄し始めたようですね。金王朝の崩壊後、一気にあの地域を我がものにせんとの意図が見え見えです。

金正日はアメリカに命乞いするために、敢えて拉致を認めてカード化し、ジェンキンス氏を引き渡して来たってことかもしれませんね。


物語の力(9.4)

私が好きな評論家、長谷川三千子さんと山谷えり子さんの対談が載っているというので、本当にひさかたぶりにある硬派の雑誌を購入しました。

対談を読むと、お二人とも最近ご主人を亡くされたとのこと。実は、私のメル友にも、若くしてこのお二人と同じ境遇になられた方がおられます。

 

メールが苦手の私ではありますが、ネットで知りあったメール友達が2人(親分を入れたら3人)います。

そのうちの一人は私の「ケルトの白馬」翻訳サイトにコメントを送って下さった方。と言ってもまだ3~4回のやりとりしかできていませんが、「ケルトの白馬さん」と呼ばせていただいているおそらく同年代、同性のその方は、この夏の始めに突然ご主人を交通事故で亡くされました。

多くの時間をともに過ごし、そしてこれからもともに時を重ねていくはずだった人生の伴侶を亡くすということが、どれ程つらく、寂しいか、今の私には察するに余りあります。

「交通事故の加害者は無傷。」と、短く書かれたメールに、正直掛ける言葉も見当たりません。

それでも折りに触れ、どうされているかなと気になります。

 

いつも家事をしながら聴いているMDに、倉木麻衣の「明日へ架ける橋」が入っているのですが、以前は若い世代の旅立ちの讃歌と聴こえたその歌が、今ではそういう境遇の方への応援歌にも聴こえます。

 

求める心あれば出会うはず 失っていた光 輝くよ

 

彼女の歌声を聴いていたら、可哀想な境遇の猫や犬を見捨てておけず、何匹も飼っていらっしゃるケルトの白馬さんのこと、きっとまた前を見て歩き出される、そう感じるようになりました。(へんな言い方ですが。)

そして、三谷さんがゲストだった今週のスタジオパーク。

視聴者の方からのこんなメッセージが紹介されていました。

 

主人を亡くして2か月余りですが、今日初めて独りきりで大笑いしました

 

歌や物語を創る方々の力を、改めて実感した夏の終わりです。


狸は林で生きている(10.12)

歩くと30分はかかる最寄り駅。しかたなくほぼ毎朝、nobukoの夫を車で送っています。

そんなお家が結構あるのか、30分に一本の発車時刻の前後には結構な交通量になる駅への一本道。そのど真ん中に、昨日の朝たぬきが倒れていました。

「ああ、可哀想に。ひかれちゃったのかな。」

「そうだね。でも見たところきれいな感じだったから、もしかしてまだ生きてて、前の時の狸みたいに林へ帰れたらいいんだけどね。」

「ああ、あの時の狸ね~!ホントにそうだといいけど。」

 

それは忘れもしないずっと前(笑)、家へと向かう幹線道路を走行中、左前方に小さく光るものを確認!

よく見れば、なにやらずんぐりした小さな動物の目で、頭だけもたげる格好で道路脇に倒れていました。

家からも歩いて行ける距離だったので、子供たちを家に入れると、ほとんど真っ暗やみの現場に夫婦二人で行ってみました。

するとそこにはすでに先客がいて、中高年のおじさんと二人ずれの若者ヤンキー(失礼)が狸になにやら話かけていました。

でも狸は動けない様子で、ヤンキーの二人組は車に乗ってどこかへ行ってしまいました。

「骨でも折れてるのかな」と心配したnobukoの夫は、いつもタップを見てもらっていた獣医さんに近くの公衆電話から相談したところ、「う~ん、持って来れるなら見てもいいけど、正直たぬきは臭いから困るんだよね~。それに噛まれると大変なんだ。くれぐれも触らないようにね。」との返事だったとかで、仕方なく戻ってきました。「そんな~★ それでも獣医なの~?」と怒るワタシ。

それが聞こえたのか、その中高年おじさん、ひょいとたぬきの首根っこをつまんで持ち上げたかと思うとこう言いました。「う~ん、こうして立たたせることができるから、たぶん骨は折れてないだろう。」そして「まだひとりでは立てないようだが、こうしておけば帰って行くかな。」と、近くの林のへりにそっとそのたぬきを横たえると、真っ暗な道をどこかへ去って行きました。

おじさんのさりげないお手並みに圧倒されたワタシたち。

家からもってきた水筒の水を、同じく用意していた皿にいれて狸の近くに置くと、その日は家に戻りました。

 

翌朝早くあの場所に行ってみると、おおっ♪ たぬきはもういません。

ホッとして、あのおじさんの言う通りだ♪ でもどこの人だったんだろう???と思いつつ、口をつけていなさそうな水のお皿を家に持ち帰りました。

 

そんな出来事を思い出しつつ、駅からとって返した道すがら、先ほどたぬきが倒れていた場所に目をやると、い、いないっ!あれから5分もしないのに狸がいなくなっていたのです!

近所の農家のお年寄りが、こんな交通量の多い時間帯に道路の真ん中へ出ていって、たぬきを脇へ運んだとも考えにくい。

たぬき寝入りから覚めた狸くん、無事林へ戻れたのだといいのですが♪

 

それでも全体としては、狸が交通事故に逢うケースが増えているようで、黄色地に黒の狸があしらわれた交通標識が目立つようになったわが町です。


熊は森で生きている(10.17)

TVのニュースで報じられる蜂や猿、熊の話題は、とかく人に危害を加える可能性を強調します。

「人を襲う恐ろしい野生動物!」っていうイメージの一方で、ペット番組や動物王国ものなどでは、なぜか変わった動物をこれでもかと紹介しては飼うことを奨励するかのようなマスメディア・・・。

 

さて、人里に餌を求めて下りてきた熊が射殺されたと報じるニュースを聞くたびに、近所にいっぱい落ちているどんぐりを熊たちに届けることって出来ないのかな、と思っていたところ、それがあったのです♪ その名も「日本熊森協会」!

「く守り」って響きが気に入りました。

その存在を知ったのが、コンビ二のレジ横にあるディスプレイ画面でした。

「どんぐりを集めて、山にいる熊たちに届ける活動。日本熊森協会」

自慢じゃないけど、コンビニとはあまり縁がないワタシ。ましてレジ横に流れるインフォマーシャルに目を向けたことは今回が初めてで、これはもう熊さんに呼ばれたとしか思えませんっ♪(笑)

家に戻ると早速ネット検索でその協会の住所を確認しました。

 

というわけで、暖かな陽射しの日曜日の今日、家族揃ってドングリ拾いへ出陣しました。

もちろん、地元のタヌキやらウサギやらの餌になっているかもしれないので林の中までは入らずに、鋪装された林道の上や脇に落ちているのを拾うことにして、皆で下を向いて歩き始めました。

こんなに木がいっぱい生えているんだから楽勝♪ と思いきや、ドングリはあっても虫が喰っていたり、腐りかけていたり、発芽してしまっていたりと、美味しそうなドングリは意外と落ちていないものなんですね☆

熊に食べてもらえそうなしっかりとしたドングリを夢中になって探していると、不意に鳴らされた軽トラックのクラクションにドキ~ッ! 

なんだか餌を求めて里に下りて人間に出くわした熊の気持ちがわかったような・・・。きっとトラックに乗ってた農家のおじさんも「こんなところに熊~?!」って思ったことでしょう。(笑)

そんなこんなで1時間半ほどかけて、太いのやら細長いのやら、ほぼ真ん丸なのやら、色んな種類のドングリを3~4kgぐらいゲット。

さっそく宅配便で発送しました。

食べてくれるといいな、熊さん。


笑いの大学(11.4)

11月3日、文化の日。一家そろって「笑いの大学」を観てきました。

映画のラストで流れた音楽は、遠い昔、家族で行ったブロードウェイのミュージカルの楽しい余韻を思い出させました。

本当に素晴らしい!

出来れば劇場で、オーケストラの音楽つきでも観てみたいです。

 

映画館には、色んな年齢層のお客さんが入っていましたが、小学生の子供連れというのは我が家だけ。お話がお話だけに、やっぱり小学生にはキツイかなぁ、とちょっと心配しながら席につきました。

映画の途中、時には退屈そうに身体をよじっていたかと思えば、急に前のめりになって夢中で観ていたようでもある小3の次男坊。駐車場に戻る道すがら、ワタシにぽつりと言いました。

「涙が知らないうちに出たんだ。こういうのって感動したって言うんだよね?」

「へえ、ワタル、どこを観てて涙が出たの?」

「手紙の中から、赤い紙が出てきたところ。」

「ふ~ん。あれ、どう言う意味だったと思う?」

「う~んとあのね、おうちに帰りなさい、ってことだと思った」

 

子供には常々、感動という言葉を気軽に使うな、と偏屈爺さんみたいな事をいっている我が家ですから、次男坊の感じた気持ちは本物だったのでしょう。

以前、サンダーバードの映画を観たとき、パンフレットにあった監督のコメント「人は続けて観ていられる丁度よい長さは90分」というのを覚えていて、「笑いの大学」の上映時間に「2時間は長過ぎるってこと、三谷さん知らないのかなあ。」って冗談混じりに言っていた長男も、終わってみれば「短かった。もっと観ていたかった。」

そして、真剣な顔で、

「最後に向坂に言われて椿一が書いてきた、笑いどころいっぱいの『絶対に笑えない喜劇』ってさ、あの人の気持ちを知ってて読んだら、お話が面白すぎる分だけ絶対に笑えないんだよね。」

う~ん、深いところまできっちり受けとめてるなぁ。さすがは6年生、っていうより大人のワタシがスレちゃってるかも。

 

夜、二人してなにやら脚本作りを始めた長男と次男。

その脚本が完成することはないでしょうが、たとえ一時でも子供たちをそんな気にさせた「笑いの大学」は、多くの子供たちに観てもらいたい秀作です。


雪の季節も間近で(11.8)

日本の中で大規模地震の危険の無いところはどこにもないそうですから、新潟中越地震もひとごとでは済まされません。

被災された方々の様子を伝える記事が紹介する、元教員の女性の日記には

 

「食事中も、今後の不安についての話が出る。(中略)それぞれの後ろ楯のあるなしで、黙認されたり、攻撃されたり、アチコチで激しい言葉、やんわり皮肉を交えた言葉が聞かれるのは悲しいし悔しい。」

 

「救援物資の配分、地区に配られた物の末端におけるみにくい行為が横行。早い者勝ち、強い者勝ち、恥ずかしいありよう。みんな心が荒廃し、くさってきた。我先にと焦って、『もらえるものならなんでもほしい』と目の色を変えている。」

 

とありました。

状況が人を変えるのではなく、状況に応じてそれぞれの本質が出るものと思っているワタシは、日常の中でもこの類いのことを感じてしまうタイプです。

そんなワタシにとって、地震や台風などの災害、あるいは紛争などの本当の恐さはそこにあると思っています。

 

この前も、山口県のある地域で、生ゴミを捨てる穴に落ちた熊のニュースが報じられていました。その続報がなかったので、どうなったのかなぁとネットで検索したところ、十時間後に薬殺されたとありました。

以前、我が家も拾い集めたドングリを送った熊森協会のサイトに行ってみたら、協会が県の担当課に対して救出費用の全てを負担するからと依頼しても無駄だったとのこと。なんでこうなるのでしょうか。

熊森協会がドングリを募って森に置きに行く活動それ自体にしても、地域外のドングリが持ち込まれることで生態系が乱れる、と一方的にイチャモンつけてる専門家とその意見を紹介するメディアに水を差されている様子。スギ花粉が毎年話題になっている昨今、ドングリごときで今さら言うかぁ、生態系。

(もちろん熊森協会は、こんな暴論吐いてません。ちゃんと生態系への配慮をしながら置いてきてるそうです。)

熊の命と人間の命が二者択一を迫られているわけでもないのに、人間への危険を理由に熊を殺す。そういう決定を下せる人、そんな決定を意に介さない人たちと、何かの時には共同生活をすることになるかも、そう思うだけでもゾッとしてしまうワタシです。