2002年のひとりごと
終わりと始まり(1.14)
いま、我が家が欠かさずビデオに撮っている作品は、アギトとクラッシュギアです。
でももうすぐアギトが終わってしまう~。(泣)
クラッシュギアのページを作って、ギアファイターを応援するぞぉ~~!!
ところでもうすぐ映画館でもやるターンA。
テレビでとりあえずずっと観ていたけれど・・・ちょっとガッカリだったことを思い出しました。
月の社会の描写に奥行きが感じられず、ディアナソレルも心身共に若すぎた・・・。
多くのキャラクターが登場する割には、それぞれの絡みが薄弱で、そのくせストーリー展開が間延びしていたのは、なんとも残念。
パン屋に自分の人生を見い出したムーンレイス、キースにもっと活躍して欲しかったなぁ~。
葉っぱパラパラ(1.23)
この春卒園する次男坊が、謝恩会ではっぱ隊を踊ることに。
どんなものなのかわからず応募したので、回ってきたビデオを観て驚きました。(笑)
でも、今ではすっかり「はっぱ隊」の歌にはまった電童一家。(遅★)
男の子十数名で踊るはっぱ隊、インパクトありそう~☆(←下着のパンツに緑のフェルトの葉っぱが縫い付けてある・・・)。
かく言うnobukoも、その謝恩会でパラパラを踊ることになりました。
総勢30名ちかくのお母さんたちと週に一回集まって、振り付けを覚え中~。
慎吾ママの学園天国、ミッキーマウスマーチ、そしておじゃ魔女どれみと、約10分間踊り続ける、お母さんたちにとってはかなりハードなメニュ-となっております☆
まさに「パラパラ踊ったら おもしれ~」(←from はっぱ隊)状態なんですが、いかんせん、踊りが覚えられな~い★
ビニール製のアニメキャラのコスチュームを着る予定だとかで、こちらも初体験~。
よ~し! こうなったら当日はアドリブでも何でもいいから、インパクト狙いで乗り切っちゃおう~♪
今いちばん観たいのは(2.3)
今、一番観たいもの。それは・・・
横山光輝 原作
井上敏樹 脚本
福田己津央 監督
アニメ版「仮面の忍者 赤影」
人間の証明?(2.5)
年が明けてからの週始めの放課後(←幼稚園の)には、総勢14名のチビッコたちが幼稚園のホールに集まって「はっぱ隊」の練習をしています。そのかいあってか、始まった時にはとまどっていたチビッコたちも、今では皆楽しそうに踊っています。
振り付けが一安心となれば、次は衣装です☆
だいぶ前に、「こんなんでどうでしょう~?」と我が家が作ってみたサンプルは、葉っぱ型に切り抜いた緑のフェルトの葉脈部分を茶色の糸で縫い付けただけの、超お手軽な白パンツでした。
電話でそのアイディアを話した時には難色を示していた振り付け担当のお母さんも、打ち合わせの時に実物を見せて、これをズボンの上からはかせるというイメージを伝えると、前とはうってかわって「いいかも~♪」とすごく乗り気になりました。
それでは、と他のお母さん方にも見てもらうために持参した練習日に思いもよらない展開が・・・!
なんと、いきなり横から出てきたお母さんが、私の「葉っぱパンツ」を手にとるとそのままどこかへ持ち去り、以来パンツは行方知れずに。(笑)
そして、二週間ほどして、半ばパンツのことはあきらめかけていた練習日、なんと件(くだん)のお母さんの手により、あのパンツがみんなにお披露目されたのです。なるほど、そういえばこのお母さん、謝恩会を仕切って下さっているリーダーの一人で、おそらく「みんなに見せるのはまだ早いっ!」というご判断だったんでしょう。それにしても、ひとの家のパンツを持っていくんだったら、一言わけをいってくれればいいのにぃ。この間、次男坊は「おかあさん。僕のパンツ、どこいっちゃったの」って、まるで『人間の証明』みたいなセリフを何度洩らしたことか。(笑)
何はともあれ、私のプロデュースした「葉っぱパンツ」が認知される時が来たのであれば、まあこれまでのいきさつは水に流そうじゃないか、と内心思いながら成りゆきを見守っていると・・・。
「パンツじゃ恥ずかしいから、頭に葉っぱのついたはちまきをかぶればいいんじゃないの?」(←えっ? イメージできない~)
「そうそう! それで下はズボンとかじゃなくて、タイツをはくのはどう?」(←え~っ★ よっぽど恥ずかしいんじゃあ~)
「緑のフェルトは3色あるから、葉っぱをつけた子供達の並び方もちゃんと決めなくちゃね!」
(←えっ? で、そのフェルトの葉っぱはパンツにつけるの? それともはちまき?)
「濃い緑の葉っぱは真ん中に来るのが良いわね。で、うちの子の葉っぱは濃い緑♪」(←えっ、お宅の子の立ち位置は端っこのハズ・・・?)
何がなんだかわけの分からない流れの末、我が家が作った葉っぱパンツは、めでたく採用と相成りました。やれやれ、と思っていたら
「ワタル君の立ち位置は右寄りだから、色が違うわね。」
・・・??? もともと私が作った葉っぱパンツを作りなおせということですかぁ?
「それから、葉っぱの茎は上じゃないとやっぱりおかしいわよネェ! 」
あのぉ、本家本元のはっぱ隊の通りに作ってきたんですけど・・・。
「はっぱ隊」って、白パンツに緑色のはっぱが付いてたら後は、チビッコたちが元気に踊れれば全てオッケ~♪ なものだとばかり思っていたワタシには、ある意味と~っても「お勉強」になった話し合いでした。(汗)
気がつくと、小泉首相に同情している私がいる・・・。
春の光(2.11)
ふとしたことからランチクルーズの招待状をゲットした万年手元不如意の我が家は、千載一遇のチャンスを逃すまじと、寒波襲来と告げる天気予報にもめげずに、横浜へ出かけました。
ところが予報に反してポッカポカの陽気となり、着込み過ぎた我が家一行は、真っ赤な顔をしながら「氷川」丸が停泊している山下公園の隣の桟橋に辿り着くと、ロイヤル・ウィングという名のクルーズ船に乗り込みました。
そしたら、いきなりハリケーンに遭遇!! こ、この展開は?!もしや光の男女がクルのかっ?!
な~んてことはもちろんなくて、実はこの船、お笑いの吉本興業さんのクルーズ船で、お笑い芸人「ハリヶーンズ」と、復活した「ざ・ぼんち」の漫才で笑った後、中華バイキングを楽しむというクルーズだったんです。
久しぶりに生のお笑いパワーを浴びた我が家一行が、桜木駅へと向かう道すがら、前を歩く次男坊の頭上から急に何かがボタッと!
見上げれば、そこには不敵に羽を広げるクロウロード!!・・・じゃあなくて、ただのカラスが1羽★
爆笑シャワーを浴びていたお陰なのか、なぜか次男坊はアンノフンの被害に少しもあわずに済みました。
ちなみに桜木町では、かの「パシフィコ横浜」を下見。
ここがクラッシュギア関東大会の会場か~♪と、初めて見るみなとみらい21の風景に喜んだ我が家でした。
純白の勇気(エナジー)(2.18)
昨日(2/17)の『クラッシュギア』を観ていたらなぜか急に思い出しちゃって、久しぶりに聴いてみました♪ 『純白の勇気(エナジー)』(作詞 大津あきら 作曲 ホリエアキラ)
俺たちのキーワードは
”ピュアなときめき”さ
夢は届く 風の宇宙まで
信じているから
純白の熱い勇気(エナジー)
星を飛び越え 輝けマッハGo!
君の空にマッハGo!Go!Go!
愛は生きている
立ち止まったらダークネス
走り続けたい
生まれたての時代の荒野を
切り拓(ひら)くように
純白の胸の勇気(エナジー)
明日を駆け抜け羽ばたけマッハGo!
虹の彼方マッハGo!Go!Go!
俺と渡ってく
これは歌詞にもあるとおり、1997年版『マッハGo!Go!Go!』の主題歌なのですが、「夢は届く 風の宇宙まで 信じているから」とか「荒野(こうや)」ってところが、クラッシュギアにもピッタリな感じがしたからでしょうか?
大好きな大津あきらさんが最後に(?)手がけられた詞に、ホリエアキラさんの伸びやかなメロディーがマッチして、もう何とも言えません♪
シャンゼリオンでこの最強コンビに出会い、お二人の活躍を楽しみにしていた矢先、大津あきらさんが亡くなられ、以来ホリエアキラさんのお名前も見かけなくなり、とても残念です。
『電童』の主題歌を編曲されたHAL2000さんは、もしかしてホ(H)リエア(A)キラさん?!な~んてしばらく思い込んでいたりしましたが・・・。(サンライズの掲示板でも質問しちゃって、設定製作のみやっちさんには本当にご迷惑をおかけしました・・・。)
ユビキタス(2.24)
ウ~ン、どこかに書いておけばよかった~と後から思うことってありませんか?
私の場合は最近立て続けにありました~。
ひとつは、どうせ時間とお金をかけて見に行くのなら『ハリーポッター』よりも、私だったら『ロード・オブ・ザ・リング』だな~♪と思っていたこと。
そしたらアカデミー賞の最有力候補になって、日本でも今話題沸騰中・・・?!
(この3月、車で10分のところにオープンする映画館でも上映されるらしい。 エンヤの主題歌が楽しみ~♪)
もうひとつは、ソルトレークオリンピックのフィギュアスケート・女子シングルスで、クワン選手やスルツカヤ選手よりもヒューズ選手に、なにやら勢いを感じたこと。
そしたらなんと金メダル・・・♪(笑)
(ていうか、今回の大会でnobukoにとってダントツだったのは、カナダのペアとダブる金メダルに輝いた、ロシアのペアでしたが♪ )
だから、これは今の内に言っておこうっと!
「ユビキタス(ubiquitous)」という「どこにいても必要な情報にアプローチできる」というような意味で使われるIT用語を最近よく耳にするようになりましたが、もしかして明治の頃「郵便」という言葉をつくったお方(前島密?)は、このラテン語のユビキタスをご存知だったに違いないっ!
意味的にもそうだけれど、音的にも「郵便来たッス」って聞こえるし。(笑)
そう思っていつものように辞書を調べてみると、「ユビ(ubi)」という語はラテン語では「where」という意味になるんだそうで、そういえば日本語でも「指」っていうのは場所を指し示す部位、ですよネ。
ウ~ン♪ これもnobuko的にはとても興味深い発見でした♪
きっと遠~い昔、ご先祖さまたちはラテン語を話していたに違いないっ!(かなり本気)
幼稚園の謝恩会(3.17)
昨日は次男坊の卒園式と謝恩会でした。
ここ2週間はその仕上げ準備のため、毎日のように幼稚園へ通っていたnobukoは、実のところ前日になるまで重た~い気分に包まれていました。
男の子達のはっぱ隊はもうほとんど仕上がっていると思われるのに、相変わらずなのはお母さん方★
「二列の前後が交代するところが、今いち合ってないよね~。」
「もう一度本番の前に集まらないと、このままじゃ(女の子たちの)ミニモニに勝てないんじゃない~?」
ウ~ン、男の子達が畏縮ぎみなのは、前で観ているお母さん達の顔が笑ってないからなんじゃあ~?
それから、勝つとか負けるとか、一生懸命踊ってる子供達の前で言わないでほしいな~。
な~んて思うnobukoは、舞台の上でパンツ一丁姿で寒そうに立っている男の子達に聞こえるようにと、まん中のワタルに向かって「大きな声で歌っていこうね~♪」とはっぱをかけたのでした。
お母さんたちのパラパラも、始めは30数名いたはずの有志が、3月に入ってパラパラと抜けてしまわれて、最終的には22人くらいに・・・。
派手なキャラコスチュームを着なくちゃいけないからね~と、どこか納得してしまうnobukoだったのですが、ただでさえパワーに欠けがちなお母さん方の踊り、その上人数が減ってしまえば一体どうなるの~? (泣)
そんな中、いよいよ衣装決めの日に。
「皆さん、衣装を前に並べてみたので、どんなのがあるか見て下さい! 最初は見るだけですよ~! 見るだけ~!!」と呼び掛ける役員のお母さんの大声も耳に届かない様子で、それまではどちらかといえば腰の引けていたはずのお母さん達は、アッという間に思い思いのビニールコスチュームを選びとると、素早く着替え始めたのでした。 うっ! 皆さん意外と気がお若いのね~☆
どれみちゃんの衣装を真っ先に選んだイケテる美容師の若いお母さんが、当日のみんなの髪型はまかせなさいっ!と名乗り出て下さると、まるで高校生に戻ったかのような異様な盛り上がりは勢いをまし、なんか恐い~★
そういう雰囲気がちょっと苦手なnobukoは、一緒に入っていきにくい気がしながらも、ここまで来た以上は最後までやらなくちゃと、他のお母さんが選んでくれた衣装をいそいで着ていつものように踊ってはみたものの・・・ぬ、抜けたいよ~★
かくして舞台当日。
はっぱ隊の幕が開き、髪を七三にマットディップで塗り付けて、葉っぱパンツ一丁の男の子達が元気一杯踊り出すと、会場はもう爆笑の渦! よ、よかった~♪
その前に演じられた人形劇や、あとで演じられるミニモニ、お母さん方によるハンドベルは、どちらかといえばお淑やか(おしとやか)な演目だから、ここで笑いをとらないと! という当初の思惑どおりの運びとなりました。 ホ~ッ♪
トリをつとめるワタシ達のパラパラも、とんでもない格好で踊る姿を笑ってみて下さった先生方やお母さん方のお陰もあって、緊張しながらも楽しい雰囲気のうちに踊り切ることができました。
3ヶ月間いろいろあったけれど、終わってみれば、ウ~ン♪ やってよかった~♪
誰なんだ~?!(4.4)
4月のあたま、実家に行ってきました。 気がかりだった父の様子もまずまずでひと安心。
相模湾の季節はここ(成田)とはちょっと違うな~と、帰る度に感じます。花水木(はなみずき)ももう満開になっていました。
前の山では下手っぴなウグイスが朝から楽しそうにさえずり、山桜の花びらが風に舞う中、息子達はハガキでこさえたブーメランを「風のイーグル」のフレーズを口ずさみながら飛ばしてました。
ところで、昼食にとった宅配ピザの箱にドキッ! そこには、「はやく、たべて、たべてっ! おいしいうちにモグモグって!」というコピーが・・・。
コピーとしてはまあありきたりなんでしょうけど、なぜだか東映さま公式掲示板でお世話になっているもぐもぐさんのこと連想しちゃいました。(笑)
食事の後、散歩がてらに立ち寄った、今ではコンビニに姿を変えた昔なじみの(?)駅前の商店でめくったマンガ雑誌のページにドキッ!
そのシュール(?)なギャグと、まるで自分のことのように思えるネットネタに毎回笑わせて頂いているマンガのタイトルの横には、「思いつきトリック・スター 野中英次」の文字が・・・。
まあ、「トリックスター」は今どき流行りの言葉なんでしょう、きっと。
それに、親分はおそらく別のあの方のはず。
でも、組み合わせのすごさに、しばらく身動きできず。(笑)
ホント、「誰なんだ~?!」って思いました。(← 今週号のオチ参照)
話し変わって、先日幕張メッセで行われたクラッシュギア全国大会。本当に全国からファイター達が集まっていたのには驚きました。
アニメの方も、いよいよ舞台はアジア、そして世界へと広がっていくようですね。でも、最近のギアファイトシーンの3DCG、切れ味がなんだかもの足りなくてちょっと残念★
福田己津央さんの名前が監修にないのはどうしてかな、気になる~。
それにつけても、親分にメールを出したい今日この頃です。
幕張の思ひで(4.12)
今日は朝から調子が悪かったので、夕食はあるものでこしらえました。
といっても、ほとんど何もない。(笑)
冷凍庫を覗いたら、奥の方からお肉を発見! ホッとして取り出してみると、賞味期限が3月30日でした。
「あれ~! クラッシュギアの全国大会で幕張に行った帰りにカルフールで買ったやつだ~★ ぎりぎりセーフ♪」(← 冷凍庫に入れておけば賞味期限を2週間くらい過ぎても大丈夫なハズ)
他にはにんじんとキノコと玉ねぎしか見あたらなかったので、今晩はカレーと相成りました。(今日も?)
ところで今さらながら全国大会のことを思い出してみると、かなり面白い体験だったな~としみじみ。
そういえば、会場の幕張メッセは、10年くらい前に来日したばかりのアメリカ人女性の同僚を半導体の展示会に案内して以来でした。 あの時はなにしろ引っ越してきたばかりで成田からどう行くのかわからなくて、その同僚が御主人との出合いのエピソードをうれしそうに語りながら、「東京の方」という手がかり一つでスイスイと異国の地を運転している(←彼女が!)ことに「やっぱり狩猟民族は違うな~」と感心していたんだっけ。 そして無事着いたのはいいものの「停めるところがわからん★」と、メッセ会場の真ん前の広場(←当時はあった)に堂々と車を停めさせちゃった(←ワタシが)んだっけ・・・恐れを知らないワタシでした。(← 「今でも」by 夫。)
その頃はメッセの建物も一つで、公園のような通り道もなかったし、時代が変わっていくことを実感できるのはなんだかヤッパリ面白いです。
全国大会も、イベントを主催されてる側の雰囲気が予想以上にグーでした♪
そして、参加している側の雰囲気もよかった。
子供達が勝つことの喜びだけでなくて、負けちゃうことの悔しさも知る、それを大きな人たちがちょうどよい距離感で見守っているイベントへと、このままゆっくり育っていったらいいな。
ツバメの帰りが早いみたい(4.16)
生協って、御近所でも利用しているお宅は多いけど、ホントに便利なのかな。
ま、便利さ、っていうのは人によって違うからそれは別に良いんですけど、見た感じや食べてみての感じで、店に並んでいるものの中から自分や家族の好みで自由に選んだ方がワタシは安心~。
牛乳もお肉もお店も、自分の五感で納得して買っていると、騙されただの信用できないだのって後から恨む事も少ないし。
(実は左側の政治組織の資金源になっている生協が、選択の自由よりも用意された合理性を提供する仕組みになっている、っていうのも分かりやすいといえば分かりやすいんだけれど・・・。)
ところで我が家の周りの生協を利用されているお宅には、雑草の生えてない芝生や色鮮やかな異国の(?)花が咲いてる綺麗な庭をお持ちのお家が多いようです。そんなお家に限って、ネコがうろうろすることに文句を言ったり、イモリやカエルが出るからと庭にせっせと除草剤や殺虫剤を撒いたりしているなあ~。玄関先のツバメの巣をたたき落としてたりもしてたっけ。環境に合わせるより、環境を自分のイメージに合わせたい、イメージにあわないものは認めない、っていうこと?
買い物に出かけるのも雑草取るのも、どちらも無精者のワタシにとってはヤッパリ大変。だけれど、食材の色つやや値段、品揃えの変化を肌で感じられることや、季節ごとに生えてくる草が違ったり、名も知らない小さなかわいい花が咲いているのを見つけたりするのも、なかなか面白いな~と感じるワタシって、今風じゃあないのかも★
夢ミスギ(5.2)
アギトのスタッフの方々が「いつか住んでみたい」と感じられたというあのお家、「美杉家」にまつわるエピソードをHPで拝見していたら、なぜかアメリカ北東部のお友達の家のことを連想してしまいました。
去年のクリスマスカードに「新しく家を建てているところです」って書いてあるのを読んで、へ~、あちらではそういうのって普通なのかな~? 結婚してまだ10年くらいしかたってないのにまた新しいのを建てるんだ~☆と驚いていたら、この春届いたメールには「今年のクリスマスには完成するはず」と書いてあって、エ~ッ★ 一年以上もかかる家~?とまたまた驚かされました。
あちらの一部の(?)人たちが実際に住んでいる家の雰囲気は、木肌色のゆったりとした空間とたくさんの部屋、壁や階段には家族の写真が飾られていて、家庭菜園のお庭に通じるドアからは猫や犬が自由に出入りしてるのに、絨毯(じゅうたん)はなぜかさらっさら♪ とまるでドラマの中に出てくるような雰囲気で、本当に憧れてしまいます。
ウ~ン、気候と人口密度(とエトセトラ)の差とはいえ、ワタシと彼女はいわゆる専業主婦同士なのになんという違いだろう~!!(笑)
そういえば近頃の税制改革論議で「専業主婦なんて今どき贅沢だ!」って誰かが言ってたらしいけれど、専業主婦にもいろいろあるってこと、知らんのかいっ★(笑)
少なくともワタシの周りでは共働きのご家庭のほうがリッチですよ~。 かっこいい車が2~3台あったり、手入れの行き届いた華やかな庭があったり、ご自身も流行の髪型とお化粧とお洋服をされてて、もうバッチリ~♪ってな感じで「羨ましい限り」なんですけどね★
まあ、昼間誰もいないお家ばかりになっちゃったっていうのが、子供でなくてもヤッパリ寂しいな~というのが実感ですが、そういえば最近はこのあたりでも泥棒が当たり前になってしまったってご近所の方が立ち話されてたけれど、さもありなんと納得しちゃうくらい、だ~れもいないご近所の昼間のたたずまいには、本当にこんなんで大丈夫なのかしら・・・と心配になります。
アメリカの一部の家庭の豊かさと日本の共働きのお家の豊かさは、金額的にはほとんど同じくらいかもしれないけれど、家族が過ごす場所として見た時に、なぜか大~きな違いを感じてしまうのはワタシだけ?
ふ~。夢ばかり見ちゃいられないワ。今風じゃなくったってゴ~イング マイ ウェイよっ♪と、夫が会社に行ってる間独り家を守らんと奮闘し続ける、細切れ時間だけはリッチなワタシなのでした★
ヒーロー考(5.10)
私はよく歩いて一時間ばかり離れたスーパーまで買い物に行くんですけど、車に乗っている知り合いの方(ご近所の方や子供のお友達のお母さんなど)に目撃されてるようなんです。ワタシは全く気が付かないんですけどね。(苦笑)
で最近気になってるのは、私みたいな若者(?)は良いとして、お年を召した方のそばを通り過ぎる時にも、きちんとスピードを落とす車がなくなっちゃったこと。 自分の持ってる「力」が実は「拡張」していることについ麻痺してしまって、周りへの配慮としてそれをセーブすることが出来ない大人が増えたってことなんでしょうか。(泣)
そんなワタシがヒーロー物語を楽しむときの視点は、主人公たちがどうやって「力」を得るかということより、むしろその「力」をどう扱うかという点だったりします。その意味で『アギト』は、本当に痛快な作品でした。
ところで、平成ライダー3作目となる『龍騎』で、子供みたいな正義感の持ち主である主人公・真司君の根っからのお人好しさをモノの見事に演じてらっしゃる須賀さんを初めて観た時、アギトとは全く違った意味で「これは面白くなりそう・・・」って思いました。
風大左エ門の周りで起きる様々な事件(?)は、カルチャーギャップの故か、それとも彼のキャラクターのせいなのか。そのどちらであるにせよ、彼とともに日々を過ごす中でいつの間にか周囲が彼のペースに調和していく。
それぞれの理由や動機を抱えた12人のライダーが、真司君という1人の異形の存在と関わるという構図のなかに、あの「いなかっぺ大将」と同様の展開が描かれるとしたらスッゴク面白くなるんだろうなぁ~って。
でも、ライダー同士の生死を賭けた闘いっていうヘビーな設定と、ライダー以外の登場人物も多すぎてそれぞれのキャラが立たなくなっちゃってる、まさにキャラ同士の鯖威張る、じゃなかったサバイバル状態のなかで、いつまでも柔らかい表情の主人公が映っていると、なんだかうそっぽい感じもしてきます。(笑)
特に、いろんな過去を背負っているであろう各キャラとも、画面の中の「現在」のパーソナリティーはわかっても、彼らの人生がにじみ出てこないところが観ていてツライ。「あんたはバカだ、って言ってます。」で期待させてくれた吾郎チャンが、龍騎に粉砕された芝居を打って真司君を騙した後で、北岡チャンと2人で素直に喜んでいるかのような表情をみせたところなんて、彼の過去どころか最近の一貫性すら感じられないんです。これは展開するイベントにキャラクターが振り回されている結果の典型のように思います。
そうは言いつつ、ヤッパリ気になってくるのは真司君! どうして君はいつまでもそんなにお人好しなの~?
彼のお母さんとか生い立ちなんかを、ちょっぴりでいいからぜひぜひ覗いてみた~い♪
PTA WORKS Eps.1/ナントモ イエナイッス(5.23)
いきなりですが、息子たちの通う小学校のPTAで環境委員長っていうのになっちゃいました★
ボランティアだか義務だかよくわかんないこの手のお役目は、正直なところ避けて通りたいクチのワタシですが、実は3年程前にも次男坊の幼稚園のクラス委員を仰せつかったことがありました。でもその時は、突然おじいちゃん(義父)が腸の病で入院してしまい、アルツハイマーを発病していたおばあちゃん(義母)を預かることになって、てんやわんやの慣れない介護にとうとう役員のお仕事は途中リタイアと成りました。
そんなこともあったので、この春入学した次男坊のクラス懇談会が4月に開かれた時、つい手を挙げてしまったんです。なかなか決まらなかった役員さんのひとつ「環境委員」に。
昼間働いていて無理なお母さんが押し付けられたらかわいそうだし、きっと前年度も経験しているお母さんもいらっしゃるだろうから、その方に音頭を取ってもらえば私みたいなのでもそれなりに勤まるだろう・・・。
この物語は、こうして幕を開けたのです。
GW明けに開かれたPTAの全体会合。ここでは、各委員会ごとに委員さんが集まって、委員長や副委員長、会計等の役割を決めるための話し合いが行われました。ワタシは当然無役のつもり。おっ、さっそく副委員長に立候補が。つづいて会計もすすんで引き受ける方がいらっしゃる。この調子で委員長も決まれば、今日はお開き♪ って思っていたら、状況は一変!
何? この重~い雰囲気は・・・。今だ空席の委員長の座を前に、誰もが貝になってる。副委員長と会計のお二人を除いて。
結局、最古にして最新の選出方法、くじ引きにより委員長を決めることになり、見事に当たり(ハズレ?)くじを引いたのは、これまでの人生で当たりクジなど引いたためしのないこのワタシ★
初心者の私が委員長~ぉ?! 去年も環境委員を経験した人はいないのぉ~?!
エッ? 進んでサブキャラに名乗りを挙げたあのお二人が経験者~っ?!
ウ~ン、経験とはこのように活かすものなのか・・・。
我に返ってあたりを見回すと、そこにはすでに環境委員のお母さん方の姿はなく、かわってPTAの理事会役員さんたちが口々に「大丈夫よ~♪」「悩まない、悩まない!」「なんとかなるわよ~☆」とニコニコ励ましてくださいました。・・・が、どなたからも肝心のお仕事の説明がな~い!(笑)
臨席されていた教頭先生は「各委員会は理事会の方で面倒見て下さいね。」とニッコリ釘を刺して帰っちゃうし、対する理事会もそれに関してはノーコメント。
ナニがどうなってるのかよくわからないまま、お開きになったちょうどその時、どこからともなく現れたのは前年度の環境委員長さん(らしい)。 ワタシに分厚いバインダーを手渡したその女性は「これ見といてネ。見ればわかるから♪」と言ったかと思うと、風のごとく去って行きました。
この謎の女性と、彼女から渡されたバインダーが、さらなる波瀾を巻き起こすことになろうとは、その時のワタシは知る由(よし)もなかったのでした・・・。
PTA WORKS Eps.2/前委員長の攻撃(笑)(5.26)
さて家に帰ってからそのバインダーを開けてみると、ありましたありました、環境委員会の作業を記録したノートが♪ ちゃんと残してくれてるんですね~。これを見ればある程度の流れはつかめるハズ。え~と、まずは最初の行事の記録を拝見。ナニナニ? さっそく校庭の草刈りがあるのか。去年の実施日は平成12年6月14日・・・へっ、平成12年?! これ、一昨年(おととし)のノートじゃない? でもノートはこれ1冊だけ。あの女性が委員長をつとめたはずの去年のノートは何処に・・・。
彼女から「これ見といてネ。見ればわかるから♪」と手渡されたバインダーの中で去年の痕跡をとどめるのは、無造作に挿まれた無数の走り書きのメモの山。気が遠くなりそうになりながら、一昨年のノートと走り書きのメモを理事会から配られた今年度の行事予定に照らし合わせることでボンヤリとわかってきました、とりあえずワタシがやらなくっちゃいけないことが・・・。
それは、今月末にはもう第1回目の校庭草刈り行事があって、来月あたまに始まるベルマーク収集とあわせて、すぐにでも各家庭への案内状を準備しなければならないってこと。それと委員会を開催して、環境委員のお仕事について説明しなくちゃならないってこと。これじゃあ、前委員長からの引き継ぎなんて悠長なことはやってられないみたいだ~★(泣)
空いてる時間をフル活用して、手許に残された手がかりを頼りに案内状の原稿や環境委員会のお仕事を説明する資料を作り、それを教頭先生とPTA会長に見て頂いて、ようやく委員会開催のメドがついたのでした。
ホッと一息ついているところへ、前委員長から1本の電話が。
「明日、引き継ぎしたいんだけど来れるかな?」
「・・・はあ。」
あの~、来れるかなって委員会あさってなんですけどぉ~★
【引き継ぎ場所として指定された、小学校の教材室にて】
「えっと、まだわからないことがいくつかあるんですが♪」
「ん? 順番ね、順番! ちゃ~んと説明してくから! ナニそれっ?!」
前委員長が指差したのは、今度の委員会用に私が用意していたアジェンダ(議案録)でした。 委員の方たちに年間スケジュールを伝える際、わかりやすくしようと思ってまとめておいたもので、前任者にもチェックしてもらおうと用意したものだったんです、が。
「そんなの見せたら混乱させちゃうよっ! ダメダメ!!」
「え゛っ★ でも・・・」
「絶~対、そんなの見せたらダメっ! いい? 委員長はいろいろと胸のウチに入れとかないといけないのヨっ! 全部しゃべっちゃだめなの! わかる?」
「はぁ~?!(それでノートにまとめることもしなかったのか・・・。)」
「ほらっ! そんなことよりカイテ!」
「えっ?」
「だから、今から私が言うことを書いてって言ってるの!」
「・・・書いてってそんな、急に言われても・・・(ゴソゴソ)」
「いいから早く書きなさい!」
「ぬぅ★(←面喰らってる)」
どうやら自分のペースじゃないとお気にさわるお方のようで。
それにしてもこの方、確か働いてるって言ってたけど、アジェンダ作るのがいけないことって一体どんなお仕事~? それより、こうやって人に「書け」って指図する方がよっぽどいけないことなんじゃあ★
な~んて思いながらも、お指図どおりに十ほど箇条書きで既にクリア済みの「やるべきこと」を書かされて、それについて一方的な説明を受けたのでした。
そして最後に「まあ、委員長の権限でいろいろ決めちゃってイイからさっ!」って、一体?!
それよりもワタシの質問に一つも答えてくれないのはナゼェ~?
まっ、いいワッ! やりたいようにやるから! このアジェンダだって皆~んなに配っちゃうんだから!!
かくして、開き直って臨んだ第一回環境委員会。そこでは、意外な展開が待っていたのでした。
PTA WORKS Eps.4/新たなる希望(6.3)
さて、いよいよ第一回環境委員会の日が来ました! 何ごとも最初が肝心! 初回で流れを作っちゃわないと!! と、開き直ってはみたものの、果たして何人の方がいらっしゃれるものかとても不安でした。というのも、全部で12名の委員さんの大半がお仕事をされているからです。
案の定、その日の朝早く「急な仕事で委員会に出られません~」とのお電話が。
急な仕事なら致し方ありません。かく言うワタシだって、いつ不測の事態が生じるかわからない身だし。 連絡を下さっただけありがたい・・・。
ア~ア★ アノ前委員長さんも何もスキ好んで独りでやってたわけではないんでしょう、きっと。
委員の皆さんの協力がなかなか得られなくて、結局お一人でがんばっちゃったんだろうな~って、少し同情モードが入ったり・・・。
今の私を支えるのは、「何をやってもうまく行く」と出てためざ●しテ●ビの占いだけ。
ところがそんなワタシの予想に反して、事態は意外な展開を見せたのでした。
第1回目の委員会の欠席者はたったの3名。で、出席されたお母さん方は私が恐る恐る(笑)配ったアジェンダにそれぞれ目を通されていたかと思ったら、「これなら出来そう」と年間スケジュールの役割分担表に次々と名乗りをあげてくださったのです!
よくよく話を聞いていると、皆さんも委員会の全体像がわからなくって不安が先に立っていた様子。
去年の環境委員経験者で今回副委員長に立候補された方が、しきりと「私、ベルマークのことしか知らないから」とおっしゃっていたのも、本当にそれ以外にどんな仕事があったのか知らされていなかったのかも。
皆さんの役割を決めた後、今年度分のベルマークの回収袋作りに取りかかって下さり、午前中いっぱいはかかると覚悟していた委員会作業が、アッという間に終了したのでした。
おまけに、朝一で欠席のお電話をくださった委員さんも途中から参加して下さり、その場で片付けることはあきらめていた草刈りの案内原稿の印刷をテキパキと片付けてくださいました。
誰? 年間スケジュールを胸のウチに秘めておけ、なんて言ったのは~!(笑)
*エピソード3が飛んだのは、本家STAR WARSでもまだ製作されていない回だからです。
でもこのままいくと、次は「前委員長の逆襲」、そんでもって「nobukoの復讐」って続いて行きそうでコワイ~★(笑)
期待せずにはいられない!(甘口/辛口)(7.13)
♪熟~れ過~ぎた~、果実をか~じる~ように~、弱い~自分に~、甘え続~けて~いた~♪と歌いながら次男坊(小1)がうれしそうに取り出したのは、アニメ「ドラゴンドライブ」の録画ビデオ。
先週から始まったお話にすっかりハマった次男坊は、制限しないと何度でも繰り替えし観ちゃうため、一日1回だけと決めて観ています(← 母親のワタシも一緒に)。
ちなみに「クラッシュギア」は、おもちゃのガルダイーグルで毎日楽しく遊んでおります。
で、「ドラゴンドライブ」ですが、シリーズ構成をされてるのが我が家が大ファンの井上敏樹さん!
とはいうものの、井上さんの動向を逐一追っかけているわけではないし、好きな作家さんの作品なら何でもOKってわけでもないnobuko一家としては、ドラゴン同士を闘わせるバーチャルゲームのお話だということを知って、正直それ程期待はしていませんでした。複雑な現実世界のなかで心の痛みを身体で感じない限り人は成長しようがないから、ゲームとか、メタファーとして記号化されたドラゴンだとかモンスターを人間の外に置いた世界を描いている限り、どうにもならないと思って。そういう意味では、「ヒカルの碁」が我が家の今のところのNo.1という評価(←一部に物言いをつける者あり)は当面動かないはずだったのです。
ところが意外や意外☆ 実際にスタートしてみると、オープニング映像と主題歌のなんともいえない小気味良さと、主人公の脳天気ぶりが、ストーリーのテンポと相まって(2回続けて井上さんの本)、我が家はもうスッカリはまってしまいました。(笑) お話の魅力は描き方次第で決まるってことなんでしょうか?
今週分(第2話)は、前回にも増して面白かったんですが、その絵コンテを担当された紅優さん、って前にもどこかでお見受けしたお名前だと思っていたら、「電童」の20話「燃えろ!銀河!!」や15話「怪談!学校のデータウェポン」の絵コンテをされていた方だったんですよね。
「ドラゴンドライブ」では、オープニングの絵コンテや演出を手掛けていらっしゃるようで、そのオープニングは我が家の大のお気に入りとなりました。
まあそうは言っても所詮はゲームのお話。そのうち飽きちゃうような気もします★(笑)
でも、バーチャル世界と現実世界の差異や、主人公のなかのドラゴンを現実世界のなかで具現化していくストーリーが展開されるとしたら・・・。
「クラッシュギアターボ」のジロウ役の天田真人さんや、「電童」のスバル役の鈴村健一さんも参加されている「ドラゴンドライブ」!! もしかするとこれからワタシの予想を大幅に裏切って、大きなドラマへと大化けしてくれるかもしれないという予感も♪(失礼!)
それにしても「電童」と「アギト」のあった2000年~2001年の時のように、2002年~2003年は「ドラドラ」が始まって、それから秋にはなんといっても「ガンダムSEED(仮)」と、我が家にとってとても贅沢な時間となりそうです♪
SEEDの主題歌を歌うT.M.Rって、ナ~ンデカ知らないけど堺すに似てません?(笑)(9.1)
トリックスターの親分が「らくがきぐも」で教えて下さった、「特命リサーチ」で紹介された未来図。
>以前、特命リ○ーチ200Xで見たのですが、番組では人類が遺伝子操作で子供を作るようになる未来を予想していました。
>当然金持ちはより高度な操作を行い、容姿、人格、知能、運動能力などにおいて好みの子供を作り、一方貧しい者はほとんど天然のまま。
>その結果人類は高度に遺伝子操作された「デザインド」とそうでない「ナチュラル」(この辺の言葉はうろ覚えですが)の2極に分かれ、最終的にこの両者は自然の状態では子供ができない程の別の種族になってしまう・・・というものです。
・・・う~ん。
自然のサイクルの影響をなるべく受けることなく、爆発的に増えた人口に見合う食料資源を安定供給するための技術が開発されつつある現代。そこでは、お金持ちが天然モノを食べられて、庶民は養殖モノや遺伝子組み換え食品を常食する・・・。
そんな現代とは逆の未来が訪れると言うことでしょうか。(笑)
例えば不病不老不死を願う人は、お金持ちとかウチのような万年手許不如意の人かは関係なしに、た~くさんいますよね。アンチ・エイジングを行っている女性は、今や女優さんばかりではないようですし。
でも、その一方で、無為自然を旨とする生き方を好む人も少なくはないはずです。
それに、不病不老不死を願う人にしても、よっぽど切羽詰まらない限り新しい技術を安易に自分の身体や精神に用いるのは警戒するっていう人もいれば、科学技術の効用の面のみを素直に期待して利用しちゃうっていう人もいるでしょう。
結局、技術の進歩が提示する社会の進路を決める選択肢は、金持ちだとか庶民とかではなく、ひとり一人のパーソナリティによって選ばれるということでしょうか。
(もっとも、人には「理性を重視し感性を蔑ろにする」パーソナリティや、「自分の考えた『合理』で他者を律しようとする」パーソナリティがあるところがある、っていうのがまた厄介なものです。)
ところで、トリックスターさんの書き込みのタイトルには「デザインドヒューマン」という言葉がありました。
どんなパーソナリティの持ち主であろうと、人間は自分自身、子供、家族、社会の有り様をデザインせずにはいられない生き物だと思います。その一方で、自分自身の本質については、人智を超えた存在があるならいざ知らず、同じ人間の誰かにあらかじめデザインされるということは、決して受け入れることは出来ないのではないでしょうか。
遺伝子レベルの問題を持ち出すまでもなく、周囲からの過度の期待を押し付けられたまま成人していく者の悲劇は、幾度となく語られていますし・・・。
>今度のガンダムはいつになく本格SFっぽくなるのかもしれません。
なるほど、遺伝子操作された人類を描くガンダム・シードは、トリックスターの親分の予測通りなのかも知れませんね。
映画「タイタニック」では、沈み行く船から逃げるために、女性のふりをしてまで救命ボートに乗り込む船主や、一代で財を築くことが出来た自分達の人生に満足して若い命に可能性を譲る老夫婦、何も知らない子供達を怖がらせまいとベットに寝かしつけるお母さんなど、色々な人間模様が描かれていました。
SFにせよ時代劇にせよ、ラブロマンスにせよ熱血モノにせよ、主材は主題を描くために置かれるものであって欲しいと思います。
P.S. nobukoの夫は、「理性と感性のバランスのコーディネート」、「様々なパーソナリティのコーディネート」を研究しているらしいデス。良く分からないけど。(笑)
SEED、発芽まであと一月(9.2)
高度に遺伝子操作された人間が、何世代かに渡って安定した社会を実現しているという前提を持つ舞台。
遺伝子操作という技術を手にはしたけれど、それがもたらす功罪はいまだ検証されていない舞台。
それぞれによって「遺伝子操作」の持つ意味が異なると思いますが、後者である現実の世界に住む人に、前者を描いてみせることで与える心理的なインパクトは結構ありそうですね。
なんてことを書いてるワタシも、実は数億年前に遺伝子操作の結果地球に移り住むことが出来た、どこかの星のお姫さまの末裔だったりして・・・。(←現実逃避)
ところで、日常の生活の中での諍(いさか)いの多くは、利害の争いと言うよりも「同じモノ、コト」に触れているのに、同じように感じられないことから始まるような気がしませんか?
「あんた達同じこと言ってンじゃないの?」って思える二人が、妙に角突き合わせてたりするっていうこと、ありますよね。
その一方で、いっつも意見が食い違っちゃうのに、いつまでたっても一緒にいる「ウマのあう」コンビっていうのもいます。
森岡浩之さんのお話の世界(「らくがきぐも」のトリックスターさんの書き込み参照)では、二つのグループが相容れない理由は何なんでしょうか。
さてnobukoの夫によると、全ての生命には、同種のもの同士で共通の「感じ」、つまり「共通感覚」を持つことができる機能と、個々の個体それぞれ異なった感じ方をするような機能とが備わっていて、その両方があるから「安定」と「変化への対応(=進化)」が図れる、そういう考え方があるそうです。
そして、共通の「感じ」は、場を共有し体験を共有することで共に獲得する「身体感覚」を基礎としているらしいです。(だから、現実世界での場の共有体験の乏しさは、人と人とのつながりを維持するために不可欠な共通感覚の機能の発達には好ましからざる影響を及ぼす、とnobukoの夫は言ってました。)
さらに言えば、ヒトはこの地球の生態系を構成する様々な生命の進化の先にあるものだから、多くの部分で他の種の身体感覚を内包していて、少なくともヒトの側からは他の種に対して共通感覚を持つことができる、そう考えることができるかも知れません。
でもそうすると、身体的に異種の部分を持つもの同士は、その部分においては感じ方をいつまでたっても共有できない、ということにもなりますね。
う~ん、遺伝子操作が、同じ人類の「共通感覚」を損なうような結果をもたらすことなく、人類の可能性を拓いてくれる、そういうものならいいんだけどなぁ。
P.S. 「いや、それよりも、祖先から受け継いだ共通感覚の機能に甘えるばかりでそれを磨く努力をしなければ、他の種との間はおろか、人間同士がつながりあうために互いに発しているメッセージを感じ取ることが出来なくなってしまう。そうなると『感じられない』ものは『無い』ものということになって、具体的な人間関係を律するための仕組みを考える役割を果たす理性は、不十分な情報を分析対象とすることでいびつな判断を行ってしまう。そっちのほうが、『いま、そこにある危機』かもよ。」とはnobukoの夫の弁。
夫婦だからわかりあえる、っていうんじゃなくて、わかりあい続けるためには一緒に努力しなくちゃダメ、ってことが言いたいのかしら・・・。(笑)
わがまま放談(9.10)
PTAの仕事を始めて4ヶ月。ようやく居心地よく(?)なってきました。(遅?!)
お互いに面識のない方々と月に1回ずつ集まって、短い時間でシッカリ仕事を片付けたり、委員会相互の連絡を取ったりしなければならないっていうのは、本当~に気を使います。 全部1人でやっちゃった方が楽なくらい。(出来ないか★)
「ワタシ(=委員長の仕事)って、もしかして『コーディネーター』?♪」な~んて思えるようになったのも、つい最近になってからです。(笑)
で、近頃ますます実感するのは「皆さん(=お母さん)お仕事で、昼間家にいないんだな~。」ということ。
「池田小の事件のようなことを予防する為にも、集団登下校等を始めてほしい。」という要望が働く父兄から出るのも、今まで不文律で続いてきたPTA会員としての心得(例えば交通当番になったらその次の当番の人に旗と腕章を回す際の配慮など)が急にうまくいかなくなったのも、朝回した緊急連絡が最後の人まで行き渡るのに夜までかかるようになったのも、どれも家にお母さんたちがいないから、なんですよね~。
そういう意味では本当に、昼間の地域から大人の目がなくなってしまってるんだな~と。
ウ~ン、これってなんか変ですよヤッパリ。
かつて男の人たちがそうであることを非難されていたのに、今度は女性たちまで地域、そして自分の子供のことを第一に置けなくなっちゃったってことでしょ?!
まあ、お給料を貰って働いていたら、実際無理になっちゃうんでしょうけど、本当にこのまま進んでいってもいいのか、日本?!(笑)
遺伝子組み換えで個人が理想的にコーディネイテドされるのは、避けられない未来なのかもしれないけれど、その前に1人ひとりが身の回りに配慮して少しずつ補完しあう、そんな「コーディネーター」になるって方が先決なんじゃないかな。
絶対に間違っている選択(9.18)
9月16日の産●新聞に仮面ライダー龍騎スペシャルの記事が・・・。
「人生は取り返しのつかない選択であり、絶対に正しい選択などありえない。」
さすがは白倉P、おっしゃることが違いますね。
「絶対に正しい選択などありえない」というのにはワタシもagree.
でも、「絶対に間違っている選択」というのはあると思うんですけど。
例えば、他人が犠牲になるとわかっていながら自分の欲望の実現を求める、っていう選択なんて「絶対に間違ってる」と思いません?
龍騎の世界では、真司と手塚以外のライダーは多かれ少なかれこの選択をしているわけで、この手の選択も「あり」なんてことにしたら、真司が主人公である必然性が全く無くなってしまうハズ。
映画では、北岡チャンは「脱落」することで「絶対に間違っている選択」をせず、自らの運命を受け入れていました。
優衣は、妹である自分の命のために他人の命を弄ぶという、「絶対に間違っている選択」をくり返す兄をとめるため、自らの命を絶ちました。
にもかかわらず、ひとつ屋根の下で暮らしていた真司との闘いに最後の最後まで固執していた蓮は、自由に「選択」しているのではなく「それしかない」道筋に自らを追い込んでいるという描かれ方でした。この点において、蓮は王蛇・浅倉と同様の存在となってしまうんですけど、それで良かったんでしょうか??
レギュラーシリーズのほうでは、真司クンの東奔西走のお陰か、はたまたトボケたバイプレーヤー達との絡みのせいか、「絶対に間違っている選択」に向かおうとする者達の意欲が萎えてきた(浅倉を除いて)のに、シローのテコ入れで再び闘争再燃か? っていう、あと1クール強を引っ張るための不毛なストーリー展開の予感。
おまけに、モンスターから人を守るために闘うと決めた真司クンが、なんだか人がモンスターに喰われちゃっていることに慣れっこになってきているように見えるのはワタシだけ? もう少し、尊い命が不条理の中で失われ続けることに感じる心の痛みや怒りを、キッチリと表現して欲しいものです。
いきなり現れたモンスターにわけもわからず喰い殺される、っていうのは人の選択肢としてはありえないわけですからね。
大雑把な人間観(9.27)
「キリスト教圏とイスラム教圏の対立」って図式をよく目にします。
これって一見わかりやすいけれど、どこか腑に落ちない説明だと思うんです。
実際イスラムだからって欧米と紛争していない国々もあるわけですし。
まあ、どんな世界にも「跳ねっ返り」というのが存在するわけで、そういうのが種々の紛争を作リ出してるって方がなんだかしっくり来たりします。
人がどのように生き暮らすべきかを説いているものや決めごとは、宗教であるとないとを問わず社会としての一体感を持っている人たちに対して向けられた、内的規律のあり方を示したものなのだと思います。
内部の調和と安全を守るためにそれぞれがどうしなければならないか、とか、もし内部から秩序を乱すものが現れたらどう対処すべきか、っていうことが説かれているのであって、外部からの敵に対してどうこうせよ、ってことじゃないはずです。
人類は全て同胞だ、ひとつの社会なんだ、って思える人にとっては、それにふさわしい全地球的、すなわちグローバルな内的規律を求めることは当然のことでしょう。
でも、実際問題として様々な「社会常識=内的規律」に従って暮らしている人たちがいるということを肌で感じることができれば、グローバルな内的規律を「これまでに形作られたものの中からひとつ選ぶ」のではなく「これからつくり出す」ための努力が必要だ、と考え行動することが普通だと思います。(例えば、アメリカや他の国々が今そうしているように。)
ところが、いつの世にも、内なる敵(自分の中の邪念であれ、社会のなかの不条理であれ)への鉾先を、自分と異なるもの、すなわち外に向けることでストレスを発散する。要は自分を甘やかすために敵を作りたがる人っているんですよね。そして、自分にとっての規律を外の「敵」に当てはめて、お前が悪いって攻撃するわけです。
問題は、宗教だとか文化だとかの相違に起因するのではなく、どこの社会にもいる「その手の人」にあるのでしよう。「その手の人」が色んな意味での求心力を発揮するのには、これまた様々な社会状況が影響するわけですけど、内向きに厳しい規律を持っている社会の中でひとたび力を持ってしまうととても厄介になるのは目に見えています。そして、最近の各種の国際的な紛争のほとんどはその種の人がキーとなっているのだとワタシは見ています。
もし、人類がすでにひとつの社会を形作っている、あるいはそうなりつつあると考える人が多いのなら、国際社会の中で「その手の人」が力を持ってしまった場合にどのように対処すべきなのか、グローバルな内的規律が構築されていくことになるでしょう。そして、各種の宗教や文化は形而下の多様性を残しつつも形而上、すなわち人間の本質の部分における共通性を見い出し、グローバルな内的規律の礎となっていくのだと思います。
話し変わって、昨日はガンダムエースの発売日でした。巻頭のガンダムSEEDの最新情報ページでは、福田監督の公式コメントが紹介されてました。企画中にイスラム圏のことを「相当調べ」られたとのこと。エンタテイメント性を常に重視されている福田監督が描く、社会派(?)の物語がいよいよあと1週間で始まるんですね。
コーディネーターでありながらナチュラルの側に立つことになる主人公を通して、互いを外の存在として感じている二つの社会がひとつに融合されていく過程が描かれることを期待してます。
でも正直いって、遺伝子操作という人間存在にとっての本質的なリスクをはらんだ極めてナイーブな事柄を、それ自体の是非を主題にすることなく(するの?)、ひとつの主材においてしまっていることが現実世界の子供たちの意識に及ぼす影響を考えると、不安がないわけじゃないけど・・・。
はっ、もしかして私たち地球人類は、どこぞの星の人たちが何らかの理由で地球に移住しようと自らを遺伝子操作した、その末裔かも知れない。で、その星のナチュラルはもうちょっと感性豊かで、様々な変化や異なるもの同士の接触に際しても、大きな混乱なく対処できていた人たちだったのかも。でも、私達はコーディネーターだからその辺の力がなくなっちゃって、地球移住と引き換えに「その手の人」が生まれるようになっちゃった、なんてことは・・・。
堅苦しい会話(10.13)
第一話で見せてくれたなかなかの滑り出しに、期待をふくらませて臨んだガンダムSEEDの第2話。
気になったのは生命の危険に直面した直後、いえ、その只中にいる青年達。
怯えることも、家族の安否を不安がることもなく、「いつ帰れるか」と再会を保証されている心境のままでいられるのでしょうか。
目の前のモビルスーツの駆動系への興味が、自身を含めた周囲の危機的状況に対する恐怖に優越するという不自然さは、アークエンジェルの発進に伴うやたら精緻なプロセス描写と相まって、今回のお話の会話の流れ全体を「血の通った人間のドラマ」ではなく「電気の通ったシステムの記述」という印象にしてしまっているように思えました。ファースト・ガンダムとは比較するつもりなどさらさらない者にとって、作り手の側から「これはファーストとは違うんだ」っていう比較を見せつけられたような、ミョ~な感じです。
大きな流れの中でいくつかの小さなイベントがおき、それを共有する数名ずつの登場人物が、さり気ない会話を通して互いに異なる対応の仕方をしていることにそれぞれが気づく。
ファースト・ガンダムだけでなく、電童、シャンゼリオン、アギト、あるいはサトクリフやモンゴメリーなどの私が好きになるお話は、プロローグ後のしばらくの間の展開で、こういうキャラの立て方をきっちりとやってくれています。
この辺が、まさに「予習なし」で楽しめるかどうかの分かれ目になってくるのでしょう。
そういう意味で、今回のお話の中で辛うじてこの線をたどってくれたのは、鉄面皮男とムウの絡みでしょうか。互いが孤立した密室の中で吐くモノローグが、不思議と会話になっている、というあれです。
今回のお話を見て、面と向かって言葉を交わしている者どうしが観念を理屈で語ろうと独り言を繰り合い、機械の中に入って対峙した者どうしが、円滑なコミュニケーションをしているという、とても奇妙な(よくいえば、ニュータイプ描写に重点がおかれたファースト終期のような)脚本に思えたのは私だけでしょうか・・・。
PTA WORKS Eps.5/理事会の逆襲(10.14)
PTAで今、ちょっとした騒動が起こっています。
今年度の始め、誰もなり手がない中で、関西から引っ越されてきたばかりにも関わらず学年委員会の委員長に立候補したお母さん(外で働いている)。委員の多くが働いていることや委員会の仕事内容から、作業は分担して進めることにして、定期的に委員会を開いて集まることはしないという方針を立てられました。この方針を了承していた理事会が、2学期に入ってから「それではやっぱりまずい」と委員会を開くよう勧告を出したんです。そうしたら、この動きに納得がいかないそのお母さん、委員長を止めると言い出したんです。
これ、私としてはどちらの側にもつけないな~。でもほっとけない問題だな~と思っています。
PTAが単に作業ボランティアじゃなくって、子供が多くの時間を過ごす学校という場に関わって、親同士のコミュニケーションを図るという意義もあることは確かで、自分に振られた作業分担さえこなせればOKってわけじゃないことはよくわかります。
でも、現実問題として日中は(理由はどうあれ)お勤めで忙しい保護者が多く、そんな人たちを決めた時間で集わせることは、とてもエネルギーのいる大変なことであるのも事実。
なのに理事会っていうところの人たちは、そんな大変なことを任せる時には調子よくのせておいて、実際の活動が始まったら何のサポートもしてくれない、っていうのはこのワタシ自身肌身に沁みてます。
そのお母さんもかなり意地っ張りな方であることは否めないんですけれど、でもどちらかといえば、理事会の「委員長になったんだから、それなりの心構えが必要でしょ!」という、一見反論の余地ない御立派な主張が、ワタシ的には納得がいかない!!(笑)
理事会さんはそんな大層なことが言える程、きちんと活動されてたっけ?って。(笑)
部外者の人たちがこの件を聞きかじったら、学年委員長さんがやっぱり悪いって、思うのかな~。
それとも、そういう吊るし上げのような雰囲気があるPTAのことを、やっぱり参加したくないわ~と感じたりして?(笑)
そういう意味では、SEED第2話のマリュー大尉やナタル中尉という、二人の女性士官が見せたあの高圧的な態度、言ってるコトは間違ってないだけに本当にリアル。
以外とあの辺りにもSEEDのテーマが置かれていたりして。(笑)
あの方たちも、これから子供達と一緒に変わっていく、ってことなんだと期待しております。
ヒーローの先生(10.24)
ワタシの水曜日、というか木曜日に無くてはならない番組になった「HR」。
昨日寝る前、しっかり予約設定したビデオをワクワクしながら再生してみたら・・・エッエェ~!! 後半しか撮れてない~★
急いで昨日の新聞を確認したら、先週までの放送時間より15分早く始まってたみたい。
う~ん。いくら三谷さんの脚本とはいえ、途中からじゃなぁ・・・。
なんて、あまり期待せずに、でもせっかくだから録画できてた後半部分を観たんですけど、これがまたオモシロイ~☆
前半がどんな感じだったか、後半を見始めて3分くらいでバッチシつかめました。(笑)
でも、やっぱり始めっから観たかったなぁ。この次からは毎回きちんと新聞で確認しよっと!
話し変わって、木曜日のお楽しみのひとつ「ドラゴンドライブ」。
先週に引き続き、今週のお話も凄かった!! 最後は思わず泣いてしまいました。
誰がどう見たって「絶対に嫌なヤツ」が、イライラするほどハッキリと描かれているし、そのキャラクターを「絶対に許せない」って思っている主人公たちが真正面からぶつかっていく姿も、これまたゾクゾクするテンポで描かれています。その上、「絶対に嫌なヤツ」はちょっとやそっとじゃやられない。純粋な怒りや正義感を小馬鹿にしながら去っていっちゃう。
昨今はやりの、「世の中には善も悪もないんだ」「正しさを求めて熱くなるなんて」っていう、冷めた視点で描かれたお話に、真っ向勝負を挑むようなドラドラ。良いですねぇ~☆
どこぞの「ならずもの国家」の無法ぶりに、どう向き合うべきかがひとりひとりに問われているこのご時世に、ある意味とてもタイムリーなお話だとも言えるかも。
さっき帰ってきてご飯を食べてるnobukoの夫に、半ば強引にビデオを観せちゃいました。普段はドラドラを見てないnobukoの夫も、台詞の組み立てやテンポから物語のテーマがハッキリわかって面白い、って言ってました。やっぱりうまい脚本は、一部分からでも全体をイメージさせることができるんですね。
で、今回の脚本は?とエンドテロップで確認してみたら、荒川稔久さんでした!
ウ~ン、さすがは「ヒーローの先生」♪(←シャンゼリオンより。)
さらに話し変わって「SEED」のエンディング曲、結局GET。(笑)
編曲がイイですね♪ これで歌声が有坂美香さんだったらな~! って、ついつい思ってしまいます。
有坂美香さんといえば「リヴァイアス」。あのお話は、結局は「正しさを求めて熱くなるなんて」っていう雰囲気で終わっちゃったところが、ある意味これ以上ないほどリアルでしたが、そこがワタシには納得したくないところでもありました。
ラスト近くで主人公に「投降しよう」なんて台詞を言わせておきながら、最終回では解放された主人公たちを再び悪夢の記憶の残っているであろう場へと自らの意志で戻らせる。
まさに拉致された先で順応するしか生き延びる術がないという理不尽、その理不尽の中に放り込まれた人たちへの周囲の無関心、といった現実に起きた事柄と恐ろしいほどダブってしまうお話でした。
そんなお話の中で、理不尽な状況に果敢に挑んでいたキャラクターのひとり「イクミ」(でも、そんな彼のキャラも実は歪んだ過去の上にあるという裏設定があって、白を黒に塗り替えるようでヒドかったんですが・・・)を、素敵な表情で描いてみせてくれた門智昭さんが、「SEED」のエンディング曲CDのカバーイラストを手掛けられていたのは、ワタシにとっては嬉しい発見でした。もしかして、SEEDの作画にも参加されるということでしょうか?
もうすぐ山口晋さん(←「電童」の25話「炎の中で」を担当された方)が作画監督(?)されてる回が放映されるようですし、ますます楽しみなSEEDです♪
あっ☆この情報は、福田監督が出てたので結局GETしちゃった今月号の「アニメージュ」に載ってました。(予習しないって言ったのにスミマセン、親分。)
「あんなに一緒だったのに」:家族(10.28)
「ガンダムSEED」のエンディング曲を聴いていると、北朝鮮に拉致された弟を想って果敢に行動され続けている兄、蓮池透さんの境遇がイメージされます。
私は、父の仕事の関係で、中学時代をアメリカで過ごしました。私の通っていた中学校は現地校だったため、日本人は私ひとり。クラスメイトにはもともとアメリカ生まれの白人や黒人の子だけでなく、中南米の共産国から逃れてきたヒスパニック系の子や、共産軍の南侵から逃れてきたベトナムのボート・ピープルの子もいました。
戦争の混乱の中でご両親と離ればなれになり、たった1人で異国の地へと渡ってきたボート・ピープルの少年。ご両親がわが子の未来を託した自由の国アメリカで、一生懸命に勉強していた彼の姿が印象的でした。
その後、日本に戻った私は、校名に "International" を冠する私立高校に編入学しました。
やっと慣れてきたある日の国語の授業で、「尊敬する人は誰か」という問いに、真面目に「父と母です。」と答えた私。すると、職員室の机回りに「給料上げろ」とか「反米」とかの変な垂れ幕を飾り、廊下には『赤旗新聞』を張り出していた東大卒の男性教師が、「●○(←私の名字)みたいなのは、今すぐ窓から放り出したいな。」と鼻で笑ったのです。
わざわざ校名に "International" とつけているその場所は、私が肌で感じてきた"International"とは程遠いものでした。そして、そこに漂っている空気は、日本の社会全体にも広がっているように感じられました。
あれから20年。
世間では、ちょうど私が日本に戻ってきた前後に発生していた、北朝鮮による拉致事件がようやく表立って取り上げられています。拉致被害者のご家族が、何も動きがない日本政府と日本社会に失望し、天皇陛下へ直訴したい気持ちをどうにか抑えて、しかしとうとうアメリカ大統領にあてて嘆願書を出さざるをえなかったという事実を知った時の衝撃は、今でも忘れられません。
その一方で、話題性が高まったと見るや、加害者側のプロパガンダに与するように「横田めぐみさんの娘へのインタビュー」を組むマスメディア。
自分を産んだ母親が、実は自分と同じ年頃の時に拉致されて来たという事実があるがゆえに、今自分が外国のメディアの前にいることを承知したそのうえで、「(将来は)この国のすべての人民を指導する立場に立ちたい。」と小さな女優のように回答した娘さんの様子を見て、興奮気味に「素晴らしいですね!」とコメントしていたキャスター女史には開いた口が塞がりませんでした。 というよりも、めぐみさんのご両親(特にお母さん)に同情しました。多感な時期であるはずの女の子に、あのような振る舞いをごく自然にさせてしまう教育を施す社会、そういう統制的なものへの共感を示すパーソナリティの持ち主が、マスコミ(と教育界)には多いってことが、日本をミスリードしてきたから、拉致被害者のご家族の苦しみが倍増したのでしょう。
そうであるにもかかわらず、「無関心だった我々」に対し、拉致被害者の御家族はまっすぐと穏やかな表情で北朝鮮の非道を訴え続けられている、その姿を画面越しに拝見するたびに、戸惑いさえ覚えます。
人のウッカリ見て我がウッカリなおせ(11.2)
其の一
最近のTVでは普通になっている、ニュースのインタビューやバラエティー番組のトークなどで画面に字幕を入れる演出が生み出したウッカリ。
千代田区の歩きタバコ禁止条例で過料徴収が始まったことを報じる、昨日のCXのニュース。カメラは、パトロールに出かける区の職員に対して訓令を発する、千代田区長さんの姿を映していました。
「違反者に対しては不倶戴天の意志で・・・」
えっ?! 不倶戴天?!
画面下に入っている字幕にもハッキリと「不倶戴天」と書かれてるし、区長さん、この条例の発案者とはいえそこまで歩きタバコを憎んでいたとは。
でも区長さん、このフレーズをいう時に少し言葉を探して言い淀んでいた風だし、きっと「不退転の意志」と言い間違えちゃったんでしょう。それなのに、TV局がわざわざ字幕で間違いを固定化してしまったわけですね。番組の最後で、女性キャスターが「字幕に誤りがあった」と詫びてましたが、取材対象の発言をそのまま文字化するべきか、正しい日本語に校正したうえで文字化すべきか・・・。
これって、実は難しい問題をはらんでるのかも知れません。もしかしたらあの区長さん、心の中で歩きながらタバコを吸う人に向かって「てめぇら、人間じゃねぇっ!」って、本当に叫んでたのかも知れないし。(笑)
其のニ
折り込みチラシに書かれてた、近くの百貨店での「仮面ライダーヒーローショー」の予告。
気張ってポーズを決める仮面ライダー1号、V3、BLACK RX、そしてRXのまたの間から控えめに覗くシャドームーンの写真の横には、ショーの内容を紹介するこんな文章が・・・。
「懐かしいヒーローたちが地球征服を企む。」
えっ?! ヒーローたちが地球征服?!
確かに、今の龍騎たちの所業はとても正義のヒーローとは言い難いものだから、新規巻なおしに現れたとしても不思議ではないけど・・・。
なんて、妙に納得しながら続きを読んでみたら、
「懐かしいヒーローたちが地球征服を企む。悪の秘密結社を倒すために再び登場!」
だって。なぁんだ、余分な読点が入った誤植だったのね。
いや、そう決めてかかるのは係りの人に失礼かも。懐かしライダーたち、ホントに悪の秘密結社を倒して、自ら地球征服を企んでいるのかも知れないし。(笑)
パンドラの箱2題(11.26)
「病気でもないのに遺伝子操作した人間なんて、自然の摂理に反した間違った存在よ。」
人はその生を受ける時に、自分でそのあり方を選ぶことはできません。
果たして、「遺伝子操作された存在」として生を受けたコーディーネーターと、新しい命を「遺伝子操作された存在」として生み出したナチュラル(のうちのある層)の、どちらが自然の摂理に反した存在なのか。
病気を直すために遺伝子をいじることが自然の摂理に反した行いではないとすると、反自然の行為との境界はどこに誰が引けるのか。
「ガンダムSEED」は8話のフレイの一言で、とてつもなく深遠な世界の扉を開いてしまったように見えます。
そして話は全く変わり、もう1つのパンドラの箱になるかもしれない高円宮殿下の突然のご逝去と、それに相次ぐような市民マラソン・ベテランランナー3人の事故の報・・・。
不思議好き人間のカンが騒いでしょうがありません。
一般人と比べても健康管理の行き届いている立場の方が、しかもまだ47才であるのに、心臓の細胞が急に統制のとれない動きをしたためにお亡くなりになったなんて、ニュースで医学用語の解説を聞けば聞くほど釈然としなくなります。あまりに不自然すぎます。
そして続く土曜日に京都福知山と名古屋で開催された市民マラソン大会での相次ぐ事故。
福知山では大会が始まって11年間、無事故だったそうなのに。
突然3人も、しかも昨日今日の「にわかランナー」ではない方ばかりが、心臓発作でお亡くなりになったなんて・・・。
ウ~ン、これはヤッパリ怪しいです、怪しすぎますっ★
さる筋の方のお話によれば、某国では指向性の高い電磁波の類いが既に対人兵器として実用化レベルに達しているとのこと。それが本当だとしたら、その種の技術が日本にも持ち込まれていて、政治的な暗殺の道具に使われている、というのもあながち突飛なストーリーではなさそう。
そして一連のスポーツマンの死亡事故は、殿下の死をいかにも良くある中高年の突然死だったと印象づけるために、中高年スポーツマンを次々と・・・と考えた者たちによる、組織的暗殺だったのでは?
真相やいかにっ!! って、この手の事件に世論が気づくにはヤッパリ24年かかる?!
自分の人生の中では、誰もがみな主人公ぉ~♪(12.15)
あれは今から7年前、ワタシがお産で入院した産婦人科医院の隣のベッドにいた、きれいな顔立ちの二十歳の女の子(といっても妊婦さん☆)とその一家は、なんとも強烈な人たちでした。
狭い部屋をカーテン一枚で仕切った向こう側に、一日中交代で初産の妊婦さんのために付き添っている旦那さんと実家さん(?)のご一行は、まるで一家まるごと引っ越して来ちゃったかのよう。
そして、親戚一同やデパートに勤めていたらしい妊婦さんの同僚が、これまた入れ代わり立ち代わり訪れた後はその人たちの悪口三昧★
産院の食事が口に合わないって、ほとんど箸をつけない娘を、おばあさんになったばかりの母親は諌めるどころか、娘の好きなお菓子を持って来てあげる始末。そして、部屋に1つしかないTVを当たり前のように独占して観ていました。
ウ~ン、まるで子供の頃に観た『大草原の小さな家』に出てくるオルソン夫人とネリー母娘みたいだなぁ、と半ば呆れながら、生まれたばかりの次男坊の世話をするワタシの耳に、突然聞こえてきた衝撃の一言。
「お母さんの好きなテレビが始まるヨ♪ ホラ、『大草原の小さな家』っ!」
☆?★!☆・・・エッ?
まさかお隣のオルソン一家、ご自分たちのことをインガルス一家に重ねて観てるぅ?(笑)
話し変わって、三谷幸喜さんのHR。
人生のどん底にいるホイさんが、
「シェイクスピアがぁ、ハムレットで一番何を描(か)きたかたか、シェイクスピアの気持ちになて考えてミマシタ。」
という、ホイ・ハムレットをやることになった夜間学校の面々!
皆がヒーロー、ヒロインをやりたがる中で、
「仇役のデンマーク王をやりて~な~♪」
とせっかく指名された主役を蹴っちゃう不良の鷲尾クンとか、だったらハムレットはこの僕にっ!と、なぜかライダー風ポーズを決めてみせるトドロキ先生とか、ひとりクールに
「オレぁ芝居なんか出来ねぇからよ、裏まわらせてもらうよ。」
と言うわりには、さり気ない演技指導がツボを突いてる大工の八木田さんとか・・・。(笑)
今回もワタシ好みな展開てんこもりでした♪
来週はハムレット本番で、もぉ~っと楽しみ。
思春期の心に蒔かれる種(12.28)
NHKみんなの歌「小さな木の実」の誕生秘話を紹介する番組を観ました。
この哀愁溢れる曲は、小学生の頃に音楽の授業で習った「グリーン・グリーン」という明るいメロディーの歌と、物語世界が似ています。
どちらも、父親と男の子が丘の上で、やがて訪れる別れを予感している歌です。
でも大きく異なっているのは、「グリーン・グリーン」が緑もえる初夏の丘であるのに対して、「小さな木の実」は秋の丘であること。そして「グリーン・グリーン」の「ぼく」は、別れが訪れた時、父親との約束を果そうと「こぶしをかため胸をはり(でも)まぶたにはなみだあふれ」て丘の上にたっていますが、「小さな木の実」では、「少年」が「ふるぼけた木の実」を握りしめながら、「あたたかいパパの思い出」にひたっていることです。
番組では、「小さな木の実」はフランス人ビゼーの書いたオペラ曲「美しきパースの娘」からメロディーを借りたと紹介されていました。
そして「木の実」の作詩家は、実際に13歳で父親を亡くされたそうですが、自分の息子が生まれた時にこの詩の原形を思いつかれたそうです。
10才から15才の少年。
女である私には実感はありませんが、この時期は特に男の子にとっては大切な反抗期であり、父親を否定し乗り越えていこうとする時期であるはずです。だからこそ、この作詞家の方が感じた喪失感は並み大抵のものではなかったとお察しします。でも、多くの男の子にとっては、無性に否定したくなる父親という存在は身近にいるわけです。
もともとはビゼーの、女性がテーマであった名曲に、歯向かうべき父親を失った少年の哀しみを描いた詞をのせたこの歌を、女の子だけならいざ知らず、その時期の男の子に授業で一斉に味わわせることの意味は・・・?
人の心の成長ってナイーブだから、どんな作品に触れさせるとどんなインパクトがあるか(どのくらいインパクトがあるか、ではなく)、色々と考えてしまいます。