Kindred Sense 〜風の往く先

第1節

「兄さんっ!どこっ?!なんにも見えない・・・、ゴホッ。息が出来ないよ、兄さんっ!」

身体を一瞬にして包み込み、世界を灰色に染めた粉塵のなかで、私がまだ生きていることを知らせてくれたのはエミールの叫ぶ声だった。

私は、母との約束を守るため、必死になってエミールを探そうとした。街の半導体工場で働く母が帰るまで、留守を守るのは私の当然の勤めだったのだ。しかし、いま自分がいる場所すら分からないなかで、一体何が出来たと言うのだろう。

気がつけば、私は病院のベッドの中にいた・・・。

 

「すまない。何度も同じ話に付き合わせて。」

「いや、これが僕の仕事だからね。どう、どんな感じ?」

「胸の当たりを押しつぶすような、いや、内側からごわごわと押し広げられるような感じは相変わらずだね。」

 

皮張りのソファから腰を上げ、日射しを求めて窓辺に歩み寄る彼は、重荷を抱きとめ、そしてそれを糧にし始めている。

しかし僕は、彼が表現する「感じ」が以前とは少しずつ変わってきていることは、あえて指摘しなかった。それは、自覚する必要などないことだから。

 

「今度、ガルマ・ザビと会うよ。」

「ガルマ?」

「地球に降りてきているジオンの御曹子さ。アメリカで政治家の練習をさせられている。」

「若いのかい。」

「ああ、僕らよりひと回り若いくらいだ。」

 

窓を開けた刹那、部屋に流れ込んだ新しい風と介助犬の訓練をしている妻アンの声に、揺れたカーテンのシルエットが無邪気に笑った。

 

「この戦争を終わらせる力があるのかい、その御曹子に?」

「そう事を急(せ)くなって。戦争を始めたのも人間なら、終わらせるのも人間だ。人間がそう単純なものじゃないって事は、君の方がよっぽど専門家だろう。」

「ハハ、まいったな。でも、君がわざわざ会いに行くと言うからには、期待はできる相手なんだろう?」

 

ピピンの肩を撫でながら尋ねた僕に、アイザックは冷めてしまった紅茶を自分で入れ替えながら真顔に戻って呟いた。

 

「どうだい、アクアフェルド先生。君も一緒に行かないか。」

「君がそう呼ぶ時は、気をつけなけなくちゃな。」

「彼は、ギレンと違って人を信じることができる男のようだ。トマス、君の意見をぜひ聞きたい。」

 

僕が返事を思案しかけた時、ビジフォンの着信音がなった。

 

「ちょっと失礼。」

 

僕は車椅子の向きを変え、ピピンに目で合図をした。

 

「ハィ、久しぶりね。調子はどうお?アンもセッピ君も元気?」

 

僕の代わりにピピンが前足で応答ボタンをクリックするやいなや、画面いっぱいに現れたのは、大学時代からの友人で、僕のクライエントでもあるケイト・リーの上気した笑顔だった。

 

「ああ、君も元気そうで何より。申し訳ないが、いま来客中なので・・・。」

「実はね、すっごいチャンスを掴んじゃったみたいなの!ガルマ・ザビに会えるかも知れないのよ。ねっ、すっごいでしょ。」

「ガルマ?」

 

ついさっき同じ名前を聞いたばかりの僕は、いきなり始まった彼女の話に思わず傾聴してしまった。

 

「この間、サンディエゴのプレスクラブの近くのカフェでね、ジオンの男性と知り合いになったのよ。最近、貴方に話を聞いてもらってないせいか、ついついおしゃべりになっちゃたのね、わたし。って言うか、彼がすっごく聞き上手だったのよ。ネタに恵まれないフリーのライターの愚痴を聞いてもらってたら、彼、ホヅミ中佐って言うんだけど、『今度、ジオンの司令部をご案内しましょうか?』って言い出したの。」

「軍人だったの?」

「背広着てたから、てっきり同業者だと思い込んでたんだけど、彼がくれたカードには報道官室って書いてあるわ。」

「一介の報道官と知り合いになったからって、いきなりガルマとはつながらないんじゃないの?」

 

僕は、彼女が普通の人に比べて少しばかり、物事を希望的に受け止め過ぎるきらいのあることを知っていた。

 

「それがね、彼、ガルマのご学友なんですって。だから、タイミングさえあえば紹介してくれるって。」

「なるほど。幸運を祈ってるよ。また連絡してくれると嬉しい。」

 

会話を終える時の口調としては、冷たい感じになってしまったことは自分でもわかった。しかし、今日の彼女はクライエントではないし、調子のよい時の彼女は多少の事があっても意に介さないはずだ。

そう、それに僕には先客があったのだ。

 

「すまなかった。今の彼女、覚えているかい?」

「ああ、二、三度話したことがあるが、あまり得意なタイプではなかったな。ジャーナリスト志望だったのか、彼女。大丈夫なのかな。」

 

窓辺に立ち、先日行われた送り火のあとを眺めていたアイザックは、思い出したように左腕の時計に目をやると、ソファの背もたれに掛けてあった背広をとり、ピピンと僕のそれぞれに別れの握手を求めながら言った。

 

「アメリカ行きの件、奥さんには帰りがけに頼んで行くよ。こんなご時世に敵地に引っぱりだそうって言うのだから怒られるだろうな。それから、次代を担うべき君の優秀な学生諸君には申し訳ないが、来月休講の手続きをとっておいてくれたまえよ。」

 


第2節

「コントリズムというのは良く分かるわ。移民開始当時ならいざ知らず、地球連邦の政治システムがそのままコロニーに拡張されてるって言うのは、素朴に考えても不自然よね。」

 

海に臨むカフェテラスで、ケイトはジオンの報道官、ホヅミ・キタ中佐と会っていた。

この年の始めにオーストラリアに最初にコロニーが落ちた時、大平洋を渡った津波がきれいに洗い流したアメリカ西海岸のベイフロントの街並は、わずか9ヶ月ほどの間に復興の兆しを見せ始めていた。

そして、まだ知り合って数度目の面談だと言うのに、ケイトはまるで気のおけない友人と話すような馴れ馴れしさを見せていた。

 

「でも、あなた方のコロニーが独立を宣言して二十年。ザビ家が公国制を布(し)いた時でさえ、連邦はそれに対して軍事干渉は行ってないじゃない。」

 

敵の急所を突いたつもりのケイトであったが、一向に変化の見られないホヅミの笑顔に煽られるかのように、彼女は語気を荒げた。

 

「それを今さら独立戦争だなんて。それに、独立戦争ならなんでこの地球にまで攻めて来る必要があるわけ?」

 

いまや、ホヅミの耳には馴染んでしまったと言っても良いこの問いに対して、これまで連邦政府が行ってきた政治的、経済的な干渉の事実をひとつひとつ挙げたところで、大して説得力を持たないことは、地球に降り立っ

てからの彼の経験が証明していた。

 

「あなた方は、私達宇宙に棲む者をスペースノイドと呼びますね。旧世紀、当時の新世界であったこの大陸に移り住んだ者を、イギリス人が『アメリカ人』と呼んだことを思い起こして頂きたい。イギリス人は、経済的成功を至上価値とする

合理主義者というステレオタイプでアメリカ人を見ることで、ヨーロッパの島に踏み止まった自分達を文化的に優越した者として自覚し続けようとしたのです。」

「わたし、歴史ってあんまり好きじゃ無いのよ。」

 

目の前で、ジャーナリストを気取る女性が恥ずかし気もなくそう言い放つのを見ても、ホヅミは特別驚きはしなかった。ものごとの真偽や正邪では無く、自分にとって興味がわくかどうかが価値の基準に置かれている、そんな手合いが地球に多く留まっているからこそ、ジオンの大義が求められるのだ。

ホヅミは、愚かな者を前にする度に感じられる自尊心と使命感に満たされながら続けた。

 

「しかし、その後の世界は『アメリカ人』によって切り拓かれたと言って良いでしょう。彼らを開拓地へと送りだしたイギリス人も、やがてはアメリカ人がつくり出したグローバル・スタンダードのスキームに従って行くことになるのです。

そして、歴史は同軸上に発展するものである以上、あなた方の言うスペースノイドが人類全体の新たな道筋を示すべく、こうして母なる地球に降り立ったということは道理と言うほかはないでしょう。」

「あなた方の兵隊さん達は、皆そんなふうに考えて戦っているの?本当に?」

 

ケイトは、とても理解しがたいといった表情でホヅミの顔をまじまじと見つめて言った。ジオンは独立当初、連邦をかつてのアメリカになぞらえて非難していたはずなのに。意外と手強いケイトの反応を前にホヅミ中佐は、漁を終えて港に戻った船を目当てに集まってきた、夕陽色に染まったカモメに視線を移しながら答えた。

 

「来月、私は司令部に戻ります。あなたをジオン公国地球方面軍司令、ガルマ・ザビ大佐にお引き合わせしたいのですが、いかがですか?」

 


第3節

ジオンのコロニー落としという未曾有の蛮行を生き延びた若者達の多くが、その命を前線で銃弾の前にさらしているなか、大学という研究のための環境を与えられている学生達。

与えられた時空間の中で、彼らは自分のためだけでない価値を生み出している、そう確信し続けなければ時代の空気(ニューマ)に押し潰されてしまうのだろう。夏休み期間中も、図書館は常に満員であったし、自主ゼミのためにファカルティーが引っぱり回されている姿も珍しくなかった。

そんな学生達に、始まったばかりの秋学期をしばらく休講としなくてはならなくなったことを告げるのは、僕としても心苦しいことだった。しかし、近頃盛んにマスコミを賑わせているザビ家の貴公子、ガルマとの面談のためであることを伝えると、一様に興味を刺激された様子で、僕にガルマの印象等を報告することを約束させた後、以前からの予定通り、夏休み中に与えておいたテーマについてのプレゼンテーションに入った。

今日の担当は、夏の間に長かった栗毛を思いきり切り詰め、もともとの勝ち気な性格が磨きを増したように見えるアンネ・ラウだ。いつもなら、僕の隣に伏せているピピンの背中を撫でてから席に着くアンネなのだが、今日はまっすぐ教壇に進み出ると教室の前面にロール・ディスプレイを手際よく広げ、早速プレゼンテーションを始めた。

 

「宇宙世紀に入る前、電波によるコミュニケーションのパーソナル化や、電子機器のネットワーク化が急速に進み、我々の生活空間に電磁波が溢れだした時期がありました。電磁気力の活用が人間にもたらした利便性は数多くのものがありましたが、その一方で人々は電磁波による多くのストレスを抱えるようになります。ストレス緩和の策として、アロマテラピーやマッサージなど様々なサービスが現れましたが、その中に『マイナスイオン』の放出というものがありました。

初めのうちは、その生体に与える効果への着眼を主としたイオン研究が進められましたが、その後、それまで学会から黙殺されていたニコラ・テスラのスカラポテンシャル理論の再評価とも相まって進められた研究の中で、電磁波に対する干渉、吸収作用を持つ新たな粒子、すなわちミノフスキー粒子が発見されると、その方向を大きく転換させることとなります。

多くの民生技術は軍事技術からの応用により展開するというのが一般的な流れですが、今の戦争で用いられているミノフスキー粒子は、逆の展開を経た興味深い事例として注目に値すると考えられるでしょう。」

「途中ですまないがアンネ、君のテーマは『コモン・センス』だったはずだが。」

 

教室の雰囲気がこわばりはじめたのを感じた僕は、彼女の論説に水を差した。なるべく穏やかな口調で。しかしアンネは、僕の意図を全く解していない様子で、自分のシナリオ通りに発表を続けた。

 

「ご心配なく、先生。これからテーマに入っていきますから。さて、一般に『常識』という意味でのみ解されているコモン・センスという概念ですが、本来は私達の視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、すなわち五感に相わたりつつ、それらを統合して働く総合的で全体的な感得力のことでした。

この『共通感覚』という概念は、アリストテレースにまでその淵源をたどることができる、と哲学者ナカムラは述べています。この感得力の存在は、単に哲学的なアプローチに留まらず、大脳生理学などの立場からも様々な取り組みがなされてきましたが、最近とても興味深い現象が確認されました。

ミノフスキー粒子の濃度が高い環境下では、その場を共有する者同士の意思の疎通がはかられやすくなる、という現象がそれです。この現象の研究を通じて、コモン・センスに新たな光が当てられることが期待されています。」

「それって、フラナガン博士のところの研究のことだろ。」

 

いつものように腕を組んで聴いていたテオが、我慢できなくなって口を挿んだ。

 

「あれはジオンの軍事研究だ。人間を理解するための研究ではなく、人間を戦争の道具にするための研究じゃないか。あんなものを積極的に評価するなんて、アンネ、この夏休みの間に何かあったのかい?」

「研究には、一切のタブーはあるべきではないわ。真理を知るための研究と、その結果をどのように用いるのかということを区別しないのは、研究者としてとても危険な態度じゃなくて?」

「では君は、自分の研究の結果が社会にどんなインパクトを与えるのか、まったく気にしなくて良いっていうのかい?」

 

まさにこれが時代の空気というものなのだろう。どのクラスでも、議論はいつの間にか研究者のモラルとモラールの問題にテーマが移ってしまう。

彼らは必死で自分のあるべき姿を模索しているのだ。だから、僕は敢えて口を挿むことはしないで、彼らの討論を聞いていた。そして、辺りの景色が夕闇に包まれ始め、双方が疲れを見せ始めた頃合に、つとめて穏やかな口調で言った。

 

「今日はこの辺にしよう。では諸君、1ヶ月後に。」

 


第4節

「ガルマ大佐が戦死だと?!」

 

ホヅミ中佐は、自分の挙げた嬌声に周囲の者の視線が集まるのを感じた。

 

「シャア少佐が宇宙より追撃してきた『木馬』を撃破するための作戦行動中、敵の迎撃を受け・・・。」

「地球方面軍司令官の立場にある方が、自ら前線に赴き戦死?一体どういうことなのだ、ダロタ中尉!シャアは、奴は何をしていたのだ?」

 

自覚した興奮をなかなか静められないのは、いつもとは違って軍服に身を包んでいるせいばかりではない。あの男の名を聞いたからだ。

 

「もちろん、少佐もザクで出られました。しかし、連邦の白い新型のモビルスーツに手こずられた様子で・・・。」

「何を惚(ほう)けたことを!私が言っているのは、シャアはなぜ大佐をお止めしなかったのか、ということだ。」

「ガルマ大佐が、木馬撃破に並々ならぬ意欲を示されたので。」

「大方、奴が恩を売り付ける腹づもりで、大佐を煽ったのであろうよ。士官学校時代からあの男は食えぬ奴だった。シャアめ、宇宙(そら)では赤い彗星などともてはやされているらしいが、あの仮面の裏に隠した赤い凶星の本性を現わし始めたようだな。」

「・・・。」

 

ガルマ直属のダロタ中尉の視線に、自分の意識がガルマの死よりもシャアに向けられていることに気付かされたホヅミは、ようやく政治将校としての冷静さを取り戻した。

 

「シャアのことは上に任せるとして、大佐を失ったことで北アメリカはいささか厄介になるぞ。ガルマ司令のお人柄で、北アメリカの人心は徐々に我がジオンに傾いてきたというのに、大佐が戦死となれば、再び我々に向かう戦意が盛りかえさぬとも限らん。」

「はい。」

「ここの世論を掌握できれば、戦後の体制構築は我がジオンにとって極めて有利になるはずだったのだが、これでは北アメリカどころか各地の反公国を勢いづかせることにもなりかねん。中尉、その木馬とかいう戦艦(ふね)、進路はどこヘ向かっているのか?」

「本来の目的地はジャブローの連邦軍本部と思われますが、我が方からのプレッシャーに押し出される形で大平洋へと抜けていきつつあります。」

「我が方のプレッシャー、か。聞いて呆れるな。アジアの多くは連邦の勢力圏ではないか。その木馬とかいう戦艦(ふね)が、無知蒙昧な連邦市民の戦意を昂揚しては厄介だ。」

「ですから私は、これより木馬追撃に向かうところであります。」

 

ダロタの視線が泳いだ先には、廊下を横切る長いブロンドの民間人女性の姿があった。

 

「ふん、出撃態勢にある基地の中で、どこかのご令嬢の姿を見るというのは奇妙なものだな。まあ良い。私はイギリスに行き、欧州の世論を啓蒙する。我がジオンの政策こそが人類の未来を保証するものであることを知らしめ、反戦世論を盛り立てることで、例えその木馬とやらが我が方の追撃を逃れたとしても、彼らを待つのは人類の未来に責任を持つ連邦市民の善意が作る『人の鎖』で閉ざされた港ばかりということになる。」

 

ジオンの理想を最も良く体現する者としての誇りを胸に、ホヅミ中佐は屋台骨を失い傾き始めた司令部を後にした。

 

 


第5節

「アメリカ行きのはずが、宇宙旅行になるとはね。アンやセッピを納得させるのは骨だったぞ、アイザック。」

「くどいな、トマス。宇宙に出た介助犬はピピンが初めてってわけじゃなんだ。ほら、パートナーの方がよっぽど良い子にしているじゃないか。なぁ、ピピン?」

 

2ヶ月ほど前に予定していたガルマとの会談は、その相手を失ったために実現しなかった。おかげで講義に穴をあけることなく学期を終えた僕は今、進水したばかりの連邦軍のサラミス級巡洋艦「アカツキ」に乗り、中立コロニー・サイド6に入港しようとしている。

宙から降りた新鋭艦「ホワイトベース」との交戦で地球方面軍司令を失ったジオンは、その後も各地の戦闘で敗退を続けるなか、水面下で連邦との政治チャネルの再構築を模索し始めた。しかし、勢いを失った組織の類にもれず、ジオン内部から漏れて来る不協和音のせいで、彼らからのメッセージが非常に読み取りづらくなっている。

連邦の外交コンサルタント、実質において連邦特使であるアイザックが僕の同行を求めたのは、ジオン公王デキン・ソド・ザビの使者が表現する身体的メッセージから、相手方の真意を見定めるための助言が欲しかったというわけだ。

アカツキからランチでサイド6へ入った僕たちは、アカツキの封印処理が終わるまでの間、入管待合室で足留めされていた。

この部屋に入るまでの間に通った低重力区域で憶えた感覚は、えも言われぬものだった。どこを我が身の拠り所とすれば良いかわからず、何とも落ち着かない。この感覚をピピンはより強く感じたことだろう。介助犬は普通、パートナーの側を離れることはない。そのため、アカツキからサイド6の居住区域の間の重力の弱い箇所を移動する際にケージに入れられ、僕の姿を見ることができなかったピピンは、待合室での再会に安心した表情で尻尾を振っている。

 

「弟の死をも利用して世論を煽動するギレンという男、トマスはどう見る?」

「あの男、母親を知らないんじゃないのかな。」

 

ピピンの頭を軽く撫でてやりながら、僕はふと思いついたことを口にした。

 

「鋭いな、トマス。彼にはひとりの妹と二人の弟がいるが、彼だけ母親が違うらしい。」

「弟が二人?ギレンは長男だろ。このまえ君は、ガルマは四男だと言ってなかったかい?」

 

アメリカ行きを準備している時、アイザックから受けたガルマ・ザビのプロフィールについてのレクチャーを思い出した僕は、素直に尋ねた。

 

「ああ、言うのを忘れていたかな。実はギレンには、キシリアという妹の上にもうひとり、サスロという弟がいたのさ。ザビ家がジオンの実権を掌握する過程で、ダイクン派に殺されたことになっている。」

「なっている?」

「キシリアとサスロはギレンと同じ母親から産まれたとされているが、実は二人ともドズルやガルマの母がデギンの愛妾だった頃に出来た子供らしい。」

「なるほどね。ザビ家の長子としての立場を危うくするものを、混乱に乗じて排除したわけか。」

「まあ、そういうことさ。」

 

ため息まじりに結ばれたアイザックの口元は、彼が決して興味本位で親近憎悪の構図を語っていないことを雄弁に物語っている。

コントリストによるビルの爆破テロの巻き添えになった弟を助けられなかったことが心に影を落としたままになっている彼にとって、兄の立場を問われるような話題はまだ遠ざけておきたいものだったのかも知れない。

そう感じた僕は、ギレンを断罪することで話題の転換を急いだ。

 

「彼の無意識の中には、異母兄弟を妬む自分と、自分をそうさせた周囲のものすべてへの猜疑と敵意が満ちあふれているのだろうね。だから、そんな自分を正当たらしめるために、あれほど声高に独善の正義を叫んでみせるのだろうさ。こういう心理とエディプスコンプレックスが結びついたら・・・。」

「父親さえも殺しかねない。そうだろう、トマス。」

 

不自然に饒舌になった僕を横目に、アイザックが悪戯っぽく笑った。

ちょうどその時、ノックと同時にサイド6の役人が入室してきた。

 

「ようこそサイド6へ。貴方がレビル将軍脱出劇の影の立て役者、アイザック・シュピンドラーさんですね。私はここサイド6の検察官、カムラン・ブルームです。お会いできて光栄です。姓が違っておられるので、初めは将軍とのご関係を存じ上げませんでしたが、こうしてお会いして見ると、テレビで拝見する将軍とどことなく似ておられる。」

「お世話になります。祖父の演説を放送した際には、こちらのテレビ局のクルーの方々にもご助力いただきました。改めて感謝申し上げます。」

「我が国のメディアには報道の自由が保証されています。我々が関与することはありませんよ。」

 

含み笑いをしながら答えた検察官は、我々の入管手続きが終了したことを確認すると、

 

「公王のご使者、リングベル内務卿は明日、当コロニーに入られる予定と聞いております当初は本日入港の予定だったのですが、ギレン総帥周辺による監視の目が厳しく、思うように動きが取れない様子です。ただいま我が国の国務次官が参りますので、詳しい情報をご確認下さい。」

 

と、少し神経質そうな口調で告げて、足早に部屋を出ていった。

 


第6節

ホヅミの足取りが重いのは、テムズ川の川辺を包む霧のためばかりではかった。

オデッサでのジオン突撃機動軍敗退とジャブローの連邦軍本部強襲失敗以降、ジオンがその勢力を保っている地域においても、ジオン撃退と連邦勝利に向けての戦意が高まりつつあった。そのため、連邦を内側から変革するために赴いたはずの欧州での活動のほとんどが、連邦市民に対するジオンの思想啓蒙ではなく、要職者達の懐柔であったり、ジャーナリストを相手にした連邦高官のゴシップ宣伝などの下卑たディスインフォメーション・アクトばかりであることに、ホヅミ中佐は嫌気がさしていた。

それもこれも、シャアが木馬を討ちもらし、ガルマが無駄死にし、そしてあの無能な壷マニア、マ・クベが南極条約に反して水爆まで使いながら、戦略的要衝である鉱山をあっさり奪い返されたせいだ。

戦いの趨勢は、ホヅミ中佐がこの地球に降りた時とは明らかに異なった方向へと向かっている。連邦の経済制裁に耐え、監視の目を欺きながら軍事力の増強を重ね、満を持しての奇襲により開いた戦端が、このような展開しか生み出せないとは。

彼は苛立ちを鎮めるために、背広のポケットから取り出したタブレットを口に放り込むと、奥歯で噛んだ。

 

「ホヅミさん、お久しぶりだわね。」

 

不意に呼び止められたホヅミの口の中で、砕けたタブレットが急いで飲み込まれた。

 

「あなたは・・・、ああ、ケイトさん、ですね。」

「憶えていて下さったとは光栄だわ。ガルマ司令が戦死されたから仕方ないとはいえ、一言くらい連絡をしてくれたって良いんじゃないかしら。」

 

彼女の視線は、以前とは変わって猜疑の色になっている。こういう女性を相手にする時ははぐらかすしかない。

 

「その節は大変失礼しました。で、いつロンドンに?」

「ベルファストに行ってたのよ。あなた方との戦いを勝ち抜いてきた、連邦の白い木馬を取材しようと思って。もしかしたら王子様が乗ってるんじゃないかしら、って下心もちょっとあってね。そしたらガンダムっていう白いモビルスーツの王子様が現れて、あなた方のお仲間を退治して行ってしまったわ。」

 

このジャーナリスト気取りの女の嫌味に付き合う気など毛頭ないホヅミは、彼女が連れている、兄妹と見える子供のことに話をふった。

 

「その子供は?まさかお子さんじゃあないですよね。」

「ホヅミさんにしてはオシャレな冗談じゃないわね。もちろんよ。この子たちと一緒に住んでたお姉さんが行方不明なの。きっと木馬を巡る戦闘に巻き込まれて亡くなったんだと思うんだけど・・・。」

「ミハル姉ちゃん、生きてるもん。死んでないもん。」

「ああ、ごめんね。そうね、きっとどこかで元気にしてるわね。で、この子たちのお姉さんが戻るまで、お姉さん代わりをしてるの。」

「お姉さん代わり、ですか。」

「お腹空かせて街を歩いてるのをみたら、放っとけないじゃない? でも、私もずうっとベルファストにいるわけにはいかないし、かといって置いてきぼりにするなんてこともできないし。とりあえず、こうしてロンドンまで連れてきたんだけど・・・。」

 

その時、ホヅミ中佐の脳裏に一筋の光明が射した。

 

「ケイトさん、私と宇宙(そら)にあがりませんか?もちろん、その子供達も一緒にです。」

「ずいぶん突飛な提案だわね。」

「我がジオンには、人類に良き革新をもたらすための研究を進めている機関があります。そこでは、この戦争で身寄りを失った子供達に保護を与えると同時に、他の者に先んじて人類の良き未来を担うための教育を施しているのです。」

 

気がつくと、ホヅミにはいつもの饒舌さがもどっていた。

 

「中佐は相変わらず仕事熱心だこと。ガルマ大佐の次は、戦災孤児を宣伝の道具にするおつもり?」

「宣伝? まさか。あなたは真実だけを伝えれば良いのです。この子たちの姉さんがもしどこかで生きていたら、あなたが紹介するこの子たちの記事が彼女の目に触れることもあるかも知れない。」

「なるほどね。ここは貴方の口車に乗っておきましょうか。ここでこうしてウロウロしていても、なんにも始まらないものね。」

 

ホヅミ同様、以前と同じ好奇心と期待の色に変わったケイトの視線は、宇宙に向けられていた。

 


第7節

「まあ、だめですな。」

「だめ、というのは?」

 

ホヅミ中佐には、フラナガン博士のあまりにあっさりとした言葉の意味がのみ込めなかった。

 

「ニュータイプとして強化するのは期待薄、ということです。」

「それは、あの子たちが地球育ちだからですか、博士。」

「そんなことは関係ありゃせん。いわゆるニュータイプとしての機能の発現に大きく影響するのは、ミノフスキー粒子濃度と電磁場環境の状況という外的要因と、そこで活動する者の情緒的な特性という内的要因なんです。スペースノイドは優良種であり、人の革新であるニュータイプはスペースノイドから生まれる、という理解が広がっているようだが、ありゃ違う。まあ、政治屋が考えそうなロマンチックなストーリーだがね。」

 

ロマンチック、この言葉はホヅミ中佐を極めて不快にさせた。しかし、フラナガンはまったく意に介する様子もなく続けた。

 

「いま我々が造ろうとしているニュータイプというのは、所詮は単純な物理的変化とそこから発生する微細な信号、これには人間の思念波も含まれるんだが、それを敏感に感知して変化の方向を推測する能力の強化されたものなんですよ。

より厳密にいえば、人間の五感とそれぞれにあい渡って機能するコモン・センスを強化、拡張するためのシステムを開発しているわけです。」

 

ホヅミは自身の理想が土足で踏み散らかされるようだった。もはや目の前に座る髭の男は嫌悪の対象でしかなく、喋り続ける彼から意識をそらそうと、ホヅミは窓の外の変わることのない夕暮れの景色に目をやった。フラナガンは、その視線の先を追うように窓辺に歩み寄ると、わざとホヅミの心を逆撫でするかのように、ブラインドを降ろしながら言った。

 

「夕暮れのまま時が止まり、砂漠が広がったこのコロニーはまさに我々の研究にはふさわしい場所ですな。そう、ニュータイプの適性と言うのは『渇いている』ことなのですよ。渇いていればいるほど、外界からの刺激に対して鋭敏になる。そういう意味では、あの子たちはダメですな。あの子たちは確かに不安な状態におかれているが、周囲や将来に対する純粋な期待を持ち続けている。おそらく肉親から充分なサポートを受けて育ってきたんでしょう。それが枷になるんですよ、ニュータイプに強化する時にはね。

まあ、対比実験の際のサンプルとしては使えないことはないが、そのための子供は、いまのご時世いくらでも確保できますからな。しかし、中佐がそちらの女性のためにどうしてもとおっしゃるのなら・・・。」

 

ひとりで喋りたいだけ喋ると、初老の研究者は露骨に見返りを求める視線を向けた。これには、ホヅミのプライドが黙っていられなかった。

 

「博士は、我がジオンが掲げる人類の理想をご自分の研究のための道具にしておられる。」

 

強い語気で憤る気持ちを吐き出したホヅミに対して、フラナガン博士は薄笑いを浮かべながら返した。

 

「私は科学者であって観念論者ではない。それに私の研究目標は、ギレン総帥のお墨付きだ。まあ、あなたのようなロマンチストの存在を否定するつもりもないし、あなた方の言う人の革新がないとも言い切れん。私の研究でも、その可能性を示すかも知れんいくつかの事象が見られてはいるが、まあ、当面のテーマにはならんだろうな。」

「1つ質問をよろしいかしら。あなた、さっき『肉親のサポート』って言い方したわね。どうして『愛情』って言わないのかしら。」

 

ケイトが辛抱できずに口をはさんだ。その目はフラナガンを挑発しているようにも見える。

 

「目上の者に対する口のききかたを教わらなかったのかね。まあいい、お答えしよう。我々にとって心は研究対象なのだよ。研究対象に社会的な価値を含んだ名称を与えないのは当然のことだ。」

「私の友達はやっぱり人間の心を研究しているけど、あなたみたいな冷たい目はしていないわ。」

「お友達は大方、無能な似非学者なのだろう。中佐、申し訳ないがお引き取り願いましょう。幸いなことに、私はこれからシャア大佐と、ある優秀なサンプルのデータを確認することになっているのでね。あなたの連れの非礼はきっと忘れて差し上げられるでしょう。」

 

ホヅミは一瞬絶句した。そして、うめくように呟いた。

 

「シャア? シャア大佐が出入りしているのか、ここに。」

「あなたも、あの方のように私の研究の真価を理解する知性と、それを形にするための ”コレ” があればよかったですな。では。」

 

追われるようにフラナガンの部屋を後にした二人は、殺伐とした施設の中をジルとミリーを残してあるモニタリング・ルームに戻っていった。

 

「申し訳ない。また約束を反故にしてしまいましたね。それに、不快な思いをさせてしまった。」

「どういたしまして、いい取材ができたわ。それに、不快な思いをしたのはあなた自身でしょ。私にしてみれば、あの爺さんもあなたも、自分勝手なおしゃべりってところでは似たり寄ったりよ。」

 

モニタリング・ルームの前の暗い廊下の隅におかれた、くたびれたベンチにちょこなんと腰かけて待っていたジルとミリーは、二人を認めると立ち上がり、ジルは自分の不安を押し殺すように妹の手をしっかりと握り返しながら尋ねた。

 

「おばさん、これからどうするの。やっぱりここで暮らすことになるの?」

「とんでもないっ!こんな所とはおさらばして、とっとと地球に帰りましょう。」

 

その場に漂う重苦しい空気を吹き払うかのように、威勢の良い口調で答えたケイトの瞳を覗き込むように、ミリーが聞いた。

 

「どうしたの、けんかしたの?」

「けんか? けんかする値打ちもないわよね、あのオヤジ。」

 

ケイトの瞳は笑っていた。しかし、廊下に視線を落としていたホヅミには、彼女の表情が伝わっていなかったのだろう。

 

「フラナガン博士の考え方は、我がジオンの思想に照らせば明らかに誤りです。あのような考えのもとで進められている研究を、シャアのようなものが私物化しているような研究を、そのまま社会に伝えることは控えてもらえないだろうか。」

「あなた、まだそんなこと言ってるの? ジオンの思想に照らそうがどうしようが、あんなのが正しい研究だなんて、素朴な感覚を持ってる人だったら誰も思ったりしないわよ。」

 

ケイトは、いい加減うんざりしたという態度でホヅミに向き直った。

 

「それに、シャアとかいう軍人一人が全部を私物化しているなんてこと、ありえないでしょ。あの研究があなたの国の意志で行われていることも、ごまかすことの出来ない事実よ。それを世間に伝えて何が悪いって言うのかしら?」

「しかし、私があなたに伝えてほしかったものはこんなものではない。」

「フラナガンやシャアとか言う人と同じ穴のムジナね。国だとか何とかイズムだとかを、自分の理想を人に押しつけるための道具にしてるのよ、あなたも。」

 

ホヅミは心の奥をわしづかみにされ、左右に揺すぶられるような感覚を憶えた。そしてそれが、初めてジオン・ズム・ダイクンの著作に接した時の記憶を呼び覚ましたことにとまどっていた。

ケイトは続けた。

 

「わたし、結構あなたとは相性が良いって思ってるのよ。わたしと相性があう人はみんな良い人なの。だから、あなたが人類の理想を求め続けると言うのなら、あなたのためにもここのことを記事に書くわ。

それにね、わたし、この子たちの姉さんが見つかるまで、ふたりの面倒をきっちり見ることに決めたの。それには ”コレ” がないといけないでしょ。」

 

少し戯けた振りをしながらも、彼女の瞳にはひとつの決意の色が浮かんでいる。その眼差しに共鳴するように、ホヅミ中佐が今までにはない張りのある声で応じた。

 

「わかりました。私は本国に戻りますのでご一緒できませんが、責任を持ってあなた方を地球に送り届けましょう。」

「あなたは一緒に降りないの?」

「私は、私の中の根本の部分を確かめねばならなくなりました。あなたのお陰でね。」

「そう、そういうことなら仕方ないわね。」

 

ホヅミは今、久しく忘れていた、互いの間に風が通うように想いが交わされる心地よさを感じていた。それはきっと、ケイトも同じだろう。二人はしばらくの沈黙を楽しんでいた。

 

「ところで、私の名前であなた方の安全を保証できるのは、我がジオンの領域内だけです。ですから、地球に降りるとしても、我が方の地域になりますが、許していただけますか?」

「地球に降りられさえすれば、北極や南極ででもない限り何とかなるわ。母親になるんだ、っていったん肚をくくったら、もう恐いものなんてなくなっちゃうものなのね。」

 

そう言いながらケイトは、膝を折ってジルとミリーの肩に手をかけると、ふたりの肩ごしにホヅミに微笑みかけた。微笑みを返しながら、ホヅミはクレディ・スイス・バンクのカードをケイトに手渡して言った。

 

「ケイトさん、これをお持ち下さい。大した額ではありませんが、少しは役にたてるはずです。もちろん公金ではありませんから、ご懸念なく。」

 


第8節

サイド6に入って4日目。デギン公の密使が到着してから昨日までの2日の間に、我々は三回も折衝を重ねていた。

そして、四回目の会談を終えて夕焼けに染まるホテルに戻ったアイザックと僕は、交渉の終局をどのように形作るかについて、僕の部屋で軽くディスカッションしていた。

 

「どうだいトマス、彼は正直者だろうか。」

「彼は、明らかに欺いているね。」

「えっ?」

「ハハ、彼が欺いているのは僕らではない。より近い者を、さ。」

「なるほど。」

 

アイザックは時々僕の冗談を真に受けることがある。大抵は、大切な判断をするために僕に意見を求めている時であり、今がまさにその時だった。きっと、次の会談でこの折衝を終結させるつもりなのだろう。僕は、少し真面目な口調で続けた。

 

「自分が欺いている者への恐怖から逃れるために張り巡らせた心の防壁に、たったひとつあけられた小窓から、彼は身を乗り出していたのさ。だから、彼には自覚はないだろうが、我々に対しては驚くほど分かりやすいキューをたくさん示していたよ。」

「つまりは、和平はデギン公の本意であると解していいんだな。」

「ああ。で、君は受けとめたボールをどう返すつもりなんだい?」

「レビル将軍の艦隊がジオン本国へ向けて進軍を始めようという今の勢いであれば、我々の側に和平を急ぐ理由はない。が・・・。」

 

窓から差し込む夕暮れの陽射しの中で、アイザックはゆっくりと考えながら言葉をつないでいく。

 

「追い詰められたネズミの群れが結束して掛かってくるとなれば、猫のほうもそれなりの痛手を覚悟しなくちゃならない。だから、我が方の被害をより少なくするために、ジオンの内部で分裂が起きているのであればその裂け目を広げる努力はすべきだ。」

「しかし、あれほど分かりやすい人物だ。彼が欺いているつもりの相手が、それに気づいていないというのは考えにくいな。彼にしろデギン公にしろ、泳がされていると見た方がいいと思うが。」

「確かにそうだね。和平交渉を隠れ蓑に、その裏で体勢を立て直す。充分あり得ることだ。だが最終的に、ジオンの元首が連邦の一軍人と和平を結ぶ、この構図を描き切ってしまえば、世論のなかでのジオンの政治的立場は格段に弱くなり、主戦派に対する戦後の処置もやりやすくなる。」

「それはそうなんだが、何かがひっかかるんだよ。デギン公とレビル将軍は、本当に握手できるんだろうか。いや、それぞれの意志の問題ではなく・・・。」

 

僕は、自分に求められている役割をこえたコメントをしていることに気づいていた。しかし彼は、僕の根拠のない予感をさも共有しているかのように受け流して言った。

 

「この戦争は、連邦の弱腰が引き起こしたと言ってもいい。危機を過小評価したがる人間の性(さが)ゆえ、ジオンの野心から目を逸らさし、コロニーを地球に落とさせてしまった。そうして起こってしまった戦争だからこそ、下手な終わらせ方をすると、極端な統制派の火種を連邦の中に残してしまう。ヒトラーやスターリンの尻尾はどこにでもいるからね。

だからこそ、最後は同じ人間どうし、話し合いで矛を収めたという形を残すことが、これからの人類にとってこのうえなく大きな意味を持つのさ。

もっとも、父親さえ殺しかねん男がジオンの総帥だからな。交渉の最中に父親もろとも我々を殲滅することを考えているとしても不思議じゃないがね。」

 

そして、笑いながら立ち上がった。

 

「街を歩こう。ここに来てから、先方のホテルとの行き来ばかりだったからね。ピピン、お前も退屈だろう?」

 

夜の街には風が吹いていた。車椅子の僕に寄り添い歩くピピンが、濡れた鼻をヒクリとさせた。しかし、地球のそれとは何か違う風だ。

間は、台風や地震などの大規模な気象の変化をコントロールすることを欲し、その副産物として本来ならば何も生じない人工空間に、それらしい変化を演出することを可能にした。けれどもそれは、自然が生み出す微細かつ複雑な変化には及びもつかない。

この単純さに適応してしまうのか、それともより複雑なものを求め続けるのか。いずれの道を歩むかによって、人の未来は大きく異なったものになるはずだ。

 


第9節

「トマス、人類の革新とは何だろうか。」

 

ホテルを出てから無言で歩いていたアイザックが、唐突に問いかけてきた。日頃、この問いかけには慣れている僕は、いつもと同じように抽象的な答え方をした。

 

「そうだね、人の革新というものがあるとすれば、それは複雑な事象をいちいち分析することなく、その本質を把握し他者と共有する能力が飛躍的に向上するということだろう。その結果として、ひとり一人が正邪の判断を過たずに、自らの日々の行為を律することができるようになる、そういうものだと僕は考えているよ。」

「では、それはどのようにしてもたらされるのだろうか。」

 

まさに僕の研究の核心を突くこの問いには、僕はすぐに答えを返すことが出来なかった。

イザックは、点滅する人工の光の向こう側に広がる、漆黒の宇宙のなかに何かを探すようにして言葉を続けた。

 

「崩れ落ちたビルの塵埃のなかから聞こえていた弟の声に、僕は身動きがとれなかった。確かに、中に入ったところでエミールを助けられたとは思わないさ。でも、もしあれが僕ではなく、父や母だったらどうしただろうか・・・。」

 

足を止め、腰をかがめてピピンの頭を撫でながら、アイザックは独り言のように言った。

 

「たとえ報われないとしても、いま自分を求める声に素直に応えること、そういった営みが積み重ねられることで、人はより良い未来を作ることができる。そしてその先にはきっと、君の言うような人の革新が待っているはずだ。こんなふうに思えるようになったのも、君のカウンセリングのおかげだな。礼を言うよ、トマス。」

「どうしたんだい、急に。」

「いや、なに、クリスマスには間に合わないかも知れないが、年が明ける前に戦争を終わらせられると思うと、何とはなしに胸のあたりがモゾモゾしてね。」

 

アイザックは不自然におどけた仕種をしてみせたちょうどその時、僕たちの脇をかけていった一人の少年兵の肩に彼の手が触れた。

 

「おっと、失礼。」

 

少年は、アイザックの言葉に振り向きもせず、走り去る1台のバスの後を追いかけて行ってしまった。

 

「あれは連邦の制服だね。連邦もあんな子供までを動員しているとは・・・。あと数週間、いやあと数日で終わらせてみ

せる。だから、生き延びてくれよ。」

 

アイザックはそう呟いて、少年兵の背中を見送っていた。

 

翌日、リングベル内務卿との最後の会談に臨むアイザックと別れ、僕はピピンと二人でホテルをチェックアウトした。ロビーのテレビのニュースでは、昨夜、この国の領宙域のすぐ外でモビルスーツ戦があったことを報じていたが、街を行く通勤の人々にはそれほどの緊迫感はうかがわれない。

球に向うために搭乗したシャトルの窓から、となりのドックに連邦の白い戦艦がジオンの戦艦に並んで封印されているのが見えた。それはまるで、一足早い終戦の光景のようだった。

 


最終節

嵐山が若葉色に萌える五月のキョウト。

ジオンとの戦争が終結してまだ半年もたたないというのに、メディアでは早くも戦争を総括しようとする試みがくり返されている。

そんな中で、あのケイトがレポートしたジオンにおけるニュータイプ開発の真相は、戦争中もしたり顔でジオンに好意的なコメントをくり返していた、いわゆる進歩的良識派を黙らせる程のインパクトをもったようだった。

の一方で、アイザックがお膳立てをし、ギレンが放った憎しみの光によって消し去られてしまったレビルとデギンの会談を、無駄な犠牲を増やしただけという者もある。結局は連邦の勝利に終わったのだから、あのような政治的交渉に応ずること自体、不要だったのだと。

この一見合理的に見える意見の裏には、ジオン残党の殲滅戦継続を求める統制派に通じる心理が潜んでいることは、それを口にする者たちの表情からも明らかだ。やはり人間は、アイザックの予言を成就させずにはいられないのだろうか。

 

「セッピ! また子犬をひろってきたの? 母さんだって飼ってあげたいのはやまやまだけど・・・。ユーリーがパートナーの家に行ったら、またすぐに新しい犬の訓練が始まるから。」

「わかってるよ、母さん。大丈夫、ちゃんともらってくれる人を探すからさ。」

 

庭先から聞こえてきた会話に、僕の横で伏せているピピンが聞き耳を立てた。

去年の秋、アイザックが眺めていた嵐山の方から流れてきた風に、あの日と同じようにカーテンが静かに揺れていた。